クローン病よ、良い子だから、ね

クローン病になっての心境や環境の変化、治療に関することを書いていきたいと考えてます

クローン病患者が考える大変か否か

前回のあらすじ

バスボムを手作りしてみたのでその事を書いた。

 

今回は大変か大変では無いかを決めるのは周りでは無くて本人なんだろうなと思う事があったので、その事を書きたい。

 

 

先日、エンタイビオの為に病院に行った時の話です。

 

病院で自分の番が来るのを待っている間に人間観察をしてました。

母娘が待っていました。

待合室の場所から見て娘さんは知的障害とてんかんの様です。

たまに大きな声を出すのですが比較的おとなしく待っていました。

それが突然、大声を出すのが止まらなくなったのです。

病気からして仕方無いと自分も思ったし、周りも同じように感じたのか誰も何も言いませんでした。

と言うか、我関せずで見てもいませんでした。

でも、お母さんは迷惑をかけてはいけないと必死です。

そこにたまたま見廻りの看護師さんが来て話をしてたのが聞こえました。

「マスクが耐えられなくなったみたいで」

お母さんと看護師さんとで説得するような会話が聞こえましたが、娘さんは拒否をしていました。

しばらくして、看護師さんが無理させてもと言って着地させて立ち去りました。

そのあと、お母さんが娘さんの両手を取りあやしながら長椅子の周りを歩きだしたのです。

この時、自分がとっさに思ったのは「大変だな」でした。

しかし、そこでお母さんの気持ちを考えてしまったのです。

自分は大変だと思ったけど、お母さんは大変とは思っていないのでは無いだろうか?

産んだと言う責任感からなのであろうか?

娘さんが先に亡くなるような事があったら悲しむのだろうか?

それとも肩の荷が降りたと思うのだろうか?

娘さんがお母さんの生き甲斐なのでは無いだろうか?

色々考えたけど結局は当事者じゃないのでお母さんの気持ちは分かりませんよね?

 

話は逸れますが、自分の叔父と叔母の事を思い出しました。

自分が幼稚園生位の時にあった事は覚えている程度の人たちです。

その時には叔母さんは病気なのかどうか分かりませんが歩く事が出来ませんでした。

そして次に叔父さんに会ったのは叔母さんの葬式でした。

間隔は20年以上です。

叔父さんはほとんどの時間を叔母さんの看病に当てていたみたいです。

それも一人でやっていたみたいです。

それが葬式が終わって解放されたのです。

しかし、叔父さんは泣いていました、それも叔母さんの名前をつぶやきながら。

その時の自分は元気で若くて何事にも前向きに生きていたのです。

介護して自分の時間を削られるなんて信じられない感じでした。

なので、てっきり叔父さんは解放されてほっとしていたと思っていたのでとても意外でした。

最初自分基準で考えたけど、ダメですよね?

叔父さんにとっては病気の叔母さんを介護しながら仕事をするのが当たり前、日常だったのです。

母娘を見ながらそんな事を思い出していました。

 

そこで、当たり前は大変では無いのではないか?と言う事を考えました。

 

また、自分の話になってしまいますが、自分は社会人になってから同期や同僚に比べて仕事量が多かったんです。

いつも誰かに仕事を依頼されて座る時間すら無い感じでした。

もちろん、早出残業や休日出勤は当たり前でいつも何かに追いかけられていました。

でも、自分は大変だと思った事はゼロでは無いですが、無かったです。

そんな自分を見て同僚は「大変だな」って声を掛けてくれ、いつも「ありがとう」と答えていました。

が、自分は大変だと思っていないから、何を言っているんだ?と言う感じでした。

自分にとってその仕事量は当たり前な事で大変な事では無かったのです。

 

それと同じですよね?

もし、そのお母さんに「大変ですね?」と声を掛けたら「何が?」って言われるのでは無いでしょうか?

 

それに「大変だ」と思う感情ってのは相手を下に見ている時では無いですか?

明らかに自分より立場や能力が上の人に「大変だ」と言う感情が湧くでしょうか?

「自分には出来ない」「さすが」と言う感情は出るかも知れません。

もしかしたら好きでその環境に自分を置いているのかも知れないでは無いですか?

 

自分の価値観で物事を見るのも、自分の価値観を押し付けるのも間違いだと思いました。

 

でも、最近は自分の価値観を押し付ける様な事を良く聞きます。

誹謗中傷とかも価値観の押し付けですよね?

自分の狭い見識を正義だと、それしか無いと思っている人が多いように感じます。

 

もう少し広い心で物事を見てみませんか?

 

 

次のテーマとタイトルは未定・・・次回に続く