クローン病よ、良い子だから、ね

クローン病になっての心境や環境の変化、治療に関することを書いていきたいと考えてます

クローン病患者がエンタイビオの効果を感じない

前回のあらすじ

有名人が亡くなると言うニュースを多く聞くので思う事を書いた。

 

今回はここの所、更新があまり出来ていないのでその事について書きたい。

 

9月後半にエンタイビオを投与した。

通常だと身体の不調は改善方向に向かっていく。

しかし、今回は様子が違うよう。

腸管の痛みは多少は抑えられている。

けど、身体の痛みが強い。

 

エンタイビオを投与した日のCRPは0.02とかなり良い数値で症状が出るのがおかしい結果だったのだけど、実際は症状があり、数値と身体の症状が合致していないと疑問を感じていた。

そして、2週間経過後は体調が悪くなった。

 

今強く不調を感じる所は関節と骨なんです。

関節はどこが痛みが強いかと言うと首から下の関節と言う関節が痛い。

少し動かすだけで痛みが走る。

手指の痛みはかなり深刻で物が摘まめない。

指を90度曲げるのは出来る。

出来ると言うかそのポジションが一番楽な位置。

指を真っ直ぐにするのとグーにするのが特に痛みが走る。

なので、スイッチを押したりするのが辛いし、書類を摘まむのが痛い。

その為に、スマホをいじるのもパソコンのキーボードを叩くのも痛い。

キーボードを叩く行為は指の振動が手首に伝わり、肘に伝わり、肩まで響き痛みが生じる。

足首の痛みも生活に支障が出てくるような痛みで、動き始めが特に痛いのだ。

少し動かすと痛みが和らぐ。

これは関節が固まっているのだろうか?

 

そして、骨の痛み。

2年位前からかコツンと骨に衝撃が加わると激痛になる事が多かった。

それが最近は何もしていなくても痛みがある。

立っているともっと痛い。

歩くともっともっと痛い。

骨の痛みは骨の表面と思われる部分も痛いのだが、骨の中心部も痛い。

立っていても痛みで急に力が入らなくなり膝から落ちる様にしゃがんでしまうような事もある。

これも傍から見たらかっこ悪いですよね?

 

どうにか対策を打ちたいですよね?

何が出来ますかね?

鎮痛剤は飲んでいます。

ずっと、飲んでいます。

でも、効いたと実感した事は無い。

 

お風呂に入って温めたらどうでしょう?

湯舟に浸かっている間は良い感じですが、出ると痛みがすぐに出てきます。

 

マッサージはどうでしょう?

マッサージしている部分はとても気持ちが良いです。

でも、止めた途端、痛みが出ます。

 

ずっと湯舟に入っている訳もマッサージし続ける訳にもいきません。

困りましたね?

 

「骨が痛い」と検索してみると、ありました「骨痛」と言うのが。

原因は骨粗鬆症とも出るし、骨肉腫とも出る。

骨粗鬆症の薬は飲んでいますよ、1年以上。

薬が効いていないのでしょうか?

そうすると困りましたね?

 

骨肉腫だったらどうしましょうか?

これは前から、3年位前から決めていたのですが、親と犬がこの世にいなかったらクローン病以上の病気に対しての治療はしない。

と言う事はとりあえず、様子を見ると言う事です。

 

次回のエンタイビオまであと5週間。

果たして精神が持つのだろうか?

出来たら、エンタイビオに効果があって貰いたい。

 

とにかく、頑張れ。

と自分を励ます。

 

次のテーマとタイトルは未定・・・次回に続く

クローン病患者が思う最近の現役有名人の死を聞いて

前回のあらすじ

夢で母に写真を置く台が欲しいと言われて台を作ったと言う事を書いた。

 

今回は最近、有名人が亡くなったと言う話をよく聞くのでその事について書きたい。

 

芸能人のニュースと聞くと薬物犯罪や不倫等をよく聞くけど、それと同じ位、亡くなった言う話を聞きます。

亡くなり方には原因は老衰や病気や事件・事故や自死等様々あります。

どの方が無くなっても残念ではありますが受け入れられる物と受け入れられない物がありますよね。

 

受け入れられる物としては老衰や病気ですね。

場合によっては自ら危険な環境下に身を置いてしまい事件・事故に巻き込まれてしまった時もかろうじて受け入れられるのでは無いでしょうか?

 

全く受け入れられないのは自死ですね。

これはいけない。

最近の芸能界もこれが増えているように感じます。

本人にとってとても辛い事があったのかも知れない。

日々の小さな辛さが積み重なって耐えられなくなったのかも知れない。

未来に光が見えなくなって生きる価値を見失ったのかも知れない。

大勢の中にいても孤独を感じたのかも知れない。

魔が差したのかも知れない。

この他にも想いはあると思います。

しかし、どれもダメですよね。

自死って結局行き付くところは「逃げ」なんですよ。

生きる事から逃げたに過ぎないのです。

そして、決して、誰も褒めません。

 

これは自論なのですが、人って一つ、たった一つ生きる理由があれば生きていけるんです。

それが何かは本人しか分からないのですけど、人によっては子供、配偶者、親、恋人、友人、仕事になり、これは人様々だと思います。

逆にこれが辛い原因にもなり得ますけど。

 

そして、自死が出来る人って勇気と行動力がある人なのでは無いでしょうかね?

自死するって中々出来る物では無いと思います。

自死するって勇気がいると思いませんか?

もし、ここで自分が亡くなったらどうなるのか考えると思うんですよね?

自分だったら、父はどうする?、犬はどうする?、家はどうする?、仕事はどうする?ってなると思うんです。

そうしたら、あれやっておかなきゃとなると思うんです。

そうなると、自死するのは今度にするかって落ち着くのでは無いだろうか?

自死計画書が必要になりそうです。

 

最近の有名人で自死と思われる亡くなり方をした人はそれ程追い込まれていたのでしょうか?

勝手な事は言えませんが、仕事が上手くいっている、子供が産まれたと良い所しか見えていないせいもあり、成功者だと思っていました。

少なくとも、まだまだ成長途中でこれからの人だと思っていました。

もうヤダ、死のうって思って、勢いで自死するのでしょうか?

 

ただ、魔が差したのでしょうか?

疲れてくるとこれはあると思うんですよ。

また、自分の話になってしまいますが、昔の会社での仕事は本当に寝る暇を惜しんでって程の仕事量だったんです。

いくら若いからと言っても疲れますよね?

肉体的にも精神的にも疲れていました。

その時は1日で良いから休みたいと思うほど追い込まれていました。

ある日、機械故障があり修理していたんです。

修理が終わり、試運転の為にモーターを回したんです。

無事に回っているのを見ていたら、絶対に回転物に触れたらダメなんですけど、回転物って妙な魅力があり見入ってしまうんです。

洗濯機が回っているのを気付いたらずっと見ていたみたいな体験ありませんか?

それと同じです。

そして「これを触ったらケガして仕事を休めるかな?」って思った事があるんです。

でも、「あっ、今日中に仕上げなければならない仕事があるから休めないんだ」と思い出し、我に返ったってのがありました。

これは「魔が差した」って事だと思います。

 

でもね、自死した人には色々な理由があったと思います。

辛かったのだと思います。

だけど、亡くなったらダメです。

 亡くなったら残念がられるけど、褒められませんし、そこで終わりです。

3か月も経てば世間から忘れ去られて、覚えているのは親族と親しい関係者だけです。

そして、涙を流してくれるのは誰もいなくなりますよ。

 

自死する勇気と行動力があるのなら、今ある問題点に立ち向かう勇気と問題点を打破する行動力に変えてみませんか?

勇気と行動力が欲しいと思っている人は他にもたくさんいるんです。

その人たちのお手伝いをしても良いじゃないですか。

 

自死するのは今度にしませんか?

 

次のテーマとタイトルは未定・・・次回に続く

クローン病患者が母に頼まれた

前回のあらすじ

病は気からと言うけれど、果たしてそれだけなのか?と思い、もしかしたら病は身体からもあるのではと言う事を書いた。

 

今回は亡くなった母が夢に出て来てお願い事をされたのでその事を書きたい。

 

 

死者からのお願いと言うと怖い感じがしませんか?

でも、安心してください、怖い話ではありません。

 

もう、1か月以上前の夢の話です。

母が亡くなってから夢を見たり、変な現象ってのは物凄く減りました。

安眠とは言わなくてもテレビを付けなくても眠れるようになりました。

それまでは音がうるさくて眠れなかったんです。

そうすると夢もほとんど見なくなりました。

 

それでもたまに夢を見るんです。

それが今回の話のきっかけです。

 

母の位牌は父の所にあり、自分は写真しかありません。

遠く離れていて頻繁に手を合わせる事が出来ないので、テーブルの上に写真を飾り、毎朝、お水を替えて手を合わせていました。

母が亡くなって約8か月それが日課になりました。

線香は香りは好きなのですが、火を使う事もあり火事の危険もあるので遠慮していました。

それが1か月半位前に何故か線香を貰えたのです。

正直な所、「貰っても危ないから供えていないんだよね」と思いながらも線香と言う気持ちを頂きました。

しばらく構わずにおいていました。

 

そして夢を見ました。

母が「私はずっと床に座らされている」と訴えてきたのです。

目が覚めると心臓がバクバクしていました。

これは本当に訴えてきているのかな?と思い、どうしようか考えました。

 

仏壇を買う?

無視する?

 

仏壇は買いたくないと思いました。

何故なら、今自分は独り身で一人暮らしなので自分にもしもの事があっても誰もここを引き付く事は無いのです。

そうなると、処分が大変になるじゃないですか?

良いのかも知れないけど粗大ごみに仏壇を出すのは抵抗ありませんか?

そんな理由で仏壇を買うつもりは無いです。

 

無視をする?

うーん、無視して呪われても困りますよね?

なので無視する訳にはいかない。

 

それで考えました。

「そうだ、台を作ろう」って事に落ち着きました。

 

それで材料ですよね?

やはり木が良いな。

それで100円ショップで見るとあるはあるのですが、いまいち。

なんかもろい感じがするんです。

対して重い物を置くつもりも無いのですが、倒れる事は勘弁して欲しいです、縁起悪いし。

 

ホームセンターに行くと当然、木材はたくさんあります。

でも、大き過ぎる。

カットしてもらうのが良いかな?

と思ったけど、そのホームセンターはカットのサービスはしていないよう。

結局、何も買わずにその日は終えました。

 

しばらくして、いや、かなり時間が経ってからカットサービスをしているホームセンターに行きました。

何が良いかな?

と店内を見ているとカット室がありました。

依頼の仕方とか書いてあるかな?と近付くと男性が一人うずくまっています。

気分でも悪いのか?

でも、騒いでいないし、店員も反応していない。

とりあえず側によると、うずくまっているのではなく、詰め込んでいたんです。

そう、ここはカットした端材を売っていたのです。

物によっては値段が違い、一つ50円から500円。

別コーナーに一袋200円と書いてあります。

男性が一心不乱にしていたのは端材の詰め放題です。

 

見ると、自分が欲しかった物がありました。

家を出て来る前は構想を練ってきたので欲しい物の大きさと数が頭に入っています。

でも、自分は貧乏性なんですね?

袋に欲しいのを詰めたら袋の10分の1のスペースも使っていません。

やはり「これしか買わないのはもったいないだろう」と言う気持ちが芽生えました。

良さげな物を詰め込むと今度は「限界に挑戦」したくなるんですね?

頑張りました。

台がいくつ作れるのだろう?と言うくらい手に入りました。

こんなに買ってどうするんだ?

とも思いましたが、カットに失敗するかも知れないし、予備が必要だよね?

と自分を説得して会計です。

店員に入れ方がダメだとか注意されたらどうしよう?とビクビクと内心していたのですが何事もなく会計が出来ました。

 

家に帰って早速、工作です。

簡単にカットして組み立てるとグラグラしている。

これは補強を入れないとダメだな。

良かった、詰め放題で良かった。

家を出る時に購入しようとしていた材料だけだったらグラグラした台しか作れなかった。

それが材料がたくさんあるから贅沢な物が出来る。

作り始めて3時間が経過し、疲れました。

でも、なんとしてもその日に完成させたかったのです。

やっと出来ました。

踏み台昇降の台にしても良い位、丈夫な物が。(もちろん足では乗っていません)

 

サンドペーパーでささくれ等を削って完成です。

良かった、間に合いました。

そう、その日に完成させたかったのは、その日は彼岸だったのです。

 

お母さん、手作りで見栄えは悪いかも知れないけど、気持ちは購入品よりもずっと籠っています。

喜んでくれるかな?

手作りと言う事もあり、自分も満足です。

 

次のテーマとタイトルは未定・・・次回に続く

 

 

クローン病患者が思った病は気から?病は身体から?

前回のあらすじ

ウッドデッキの改造で屋根を付け足ししているが、直角が出ずに手間取っているし、好きな事をしていても体調が悪くなったと言う事を書いた。

 

今回はよく聞く話として「病は気から」とあるがその事について思う事があので書きたい。

 

 

何度か書いた事があるが、自分は根性論を叩き込まれた最後の方の人間かな?と思っています。

メンテナンスの順番として会社→上司→先輩→自分→後輩と言う感じの環境で育ち、立場が下であれば下であるほど自分を犠牲する事が正義とされていた時代でした。

それが、男女雇用機会均等法が出来て女性も社会進出が正とされる様になり肉体労働であるガテン系や管理職も女性が就く事が増えました。

確か、自分が学生時代は女性の勤務時間は夜10時までだったような気がします。(その頃は意識してバイトをしていなかったのもので意識が低かったのです)

 

その頃は「人生は会社の為の物」でした。

なので、休む事は悪とされていました。

もし、熱が40℃あって会社を休むと言ったら上司からの返事は「這ってでも来い、休まなければならないかは俺が決める」でした。

意識がある限りは仕事に行かなければならないのです。

意識があって会社を休む場合は医者からの診断書が必要でした。

 

それが「有給は消化しましょう」と言う雰囲気になってきました。

そう、今は多分禁止になっていると思うのですが、会社が有給を買ってくれたんです。

1日5千円位だったと思います。

今はそんな事をしている会社は無いと思うんですけど、それが当たり前の時代です。

 

とにかく、人間の扱いはされていなかったです。

人間になる為には出世するしか無いのです。

その為にみんな出世に躍起になっていました。

そう言う事で何かミスをして出世が望めないとなった人は窓際族になり、それが嫌だったら転職をする。

今でも名残がある所はありますけどね。

それでもだいぶ良くなってきました。

 

今は家族を大事にして、自分を大事にして、趣味を楽しむ事を許される様になりました。

イクメンなんてのはあり得ないし、産休なんてのもあり得ませんでした。

今で言う、「ブラック企業」しか無かったのです。

 

昔の事を書いていたらシリーズ化出来る位に書けそうにきりが無いのでここまでにします。

 

そして、題名の事です。

 

昔は「病は気から」で一般的にも同じかな?と思います。

自分も同じように思っていました。

しかし、最近、クローン病になってから果たして「病は気から」で済まされる事って少ないのでは無いだろうか?と考えが変わっています。

 

倦怠感、これは周りから見たら、「怠け病」なのです。

でも、なった人は分かるけど、本当に動けないんです、立ち上がれないんです、起き上がれないんです。

薬が影響しているのかと思うのですけど、自分でもはっきりと「これだ」と決定打が無いんです。

とにかく、怠くて怠くて怠くて怠くて本当にどうにもならない。

この時は死ぬだけの行動力が無く、死ぬことが出来ない。

でも、気持ち的には「生きたくない」です。

もし、強盗が来たら喜んで受け入れるのでは無いでしょうか?

この時は「病は身体から」になっています。

 

ここでまた、自分は考えてしまいます。

そうなると「病は気から」と「病は身体から」のどちらが正解なのでしょうか?

色々と考えました。

過去の自分の体調と気持ちのバランスを。

そうしたら、もしかしたら?と思う事が出てきたのです。

 

「病は気から」と「病は身体から」には前に単語が付くのです。

「身体の病は気から」と「気の病は身体から」のように。

そうなると「鶏と卵」になってしまいます。

 

またまた考えます。

そうすると心身共に健康にならないと、病気になると言う事です。

 

と言う事は自分は絶望的になりますね?

クローン病である限り、精神的な病気になり得ると言う事です。

いや、実際になっていますけどね。

自分では克服した気にはなっていますけど、またいつ再発するか分からない。

こんな緊張感もある。

ただ、そこに意識を持っていれば自分自身で危険信号をキャッチできるかと思っているんです。

それが出来なくなったら終わってしまうのでは無いでしょうか?

 

中には病気である事を受け入れる事が出来ない人もいると思います。

でも、それは自分自身を分析出来ていないと言う事ですよ。

背水の陣に身を置いたらもしかしたらあり得ない事が起こるかもしれませんしね。

 

次のテーマとタイトルは未定・・・次回に続く

 

クローン病患者がウッドデッキの改造をする2

前回のあらすじ

ウッドデッキに屋根を付ける改造を始めたが前後左右でズレがあり、一人で調整が大変だが柱の補強を取り掛かった所まで書いた。

 

今回はウッドデッキ改造の続きを書きたい。

 

柱の長さは家側が2800㎜で庭側が2600㎜にしたので、ウッドデッキの床上面からはそれぞれ2600㎜、2400㎜あり自分が背伸びしてやっと触れられる位の高さなので頭をぶつけることは無い。

高さ的にはちょうど良い。

 

それでも一人で作るのは辛い、ちょうど力が入らない高さでもある。

 

家での作り物は一人でしている。

何故なら、手伝ってくれる人がいないからである。

ちなみに一人で作ったのは物置やベッド等があるけど、それらが可愛く感じる位ウッドデッキの改造は大変。

あと、直した物は24時間換気の換気扇も回らなくなったのでそれを直したりもした。

 

この様な作業って二人の方が身体的には楽ではあるのですが、精神的には辛いこともある。

どう言うことかと言うと、人と組む時は相手の動きを気にしなければならない。

さもないと相手も自分も怪我をすることがあるからです。

 

 話がそれました。

 

そして、補強を調整していて思った事があります。

長さが30㎜ずれていてそれを修正して完璧だと思ったのですけどそうでも無いんです。

長さは問題無い。

でも、直角が出ていないんです。

なんで?

それで脚立に上り補強材の接触面をよーく見たら、どの補強材も左右のどちらかが1㎜位浮いているんです。

そう言う事なんだ。

ひし形になっていると言う事なんです。

 

原因は2つあります。

一つはウッドデッキから歪んでいる。

もう一つは板が天然木なので捻じれている。

 

イヤーこれは厳しいですね。

板の捻じれは今までごまかしごまかしやって来たけど最後にしわ寄せが来た感じです。

ウッドデッキの歪みは束石の所から動かすのが良いのだけど、これは一から作るより大変な事になりそうなので、少しコースレッドを緩めて修正して締め直すを繰り返すしか無いですね。

 

多少の事は諦めました。

 

脚立の上り下りを何度した事でしょうか?

途中でなんか頭がフワフワする感じがしました。

これは危険かな?と思い、作業を中止しました。

自分では色々したのですけど、外見的には何にも進んでいません。

 

それに下手に屋根を付けると危険なんです。

台風が出来たみたいなんですよ。

風も強い予報が出されています。

 

体調の方の頭がフワフワするのは台風が影響しているのでしょうか?

気圧の変化ですかね?

最近は気圧の変化が体調の変化になっています。

 

これも外見からは分からない事なので辛いですね。

自分は外見は健康そうに見えるので困ったものです。

かと言って、外見から具合が悪そうに見えたらそれはそれで困るんですけどね。

 

楽しいと思う事をしている途中でも体調が悪くなるのってどうしたら良いのですかね?

何をしても体調が悪くなる時は悪くなるし、良い時は良い。

方程式があれば良いのにと思いますね。

方程式を探してみますか?

 

次のテーマとタイトルは未定・・・次回に続く

 

 

クローン病患者がウッドデッキの改造をする1

前回のあらすじ

連休の状況をテレビで見たのでその事について書いた。

 

今回はウッドデッキの改造について書きたい。

 

 

連休中も一部の人は工事などで出勤していたのですが、自分は体調の具合で4連休にさせて貰いました。

暑さも過ぎ去り、過ごし易い気温になりました。

なので、ウッドデッキの改造をこの4連休にしようと考えました。

雨の日に窓を開けると雨が入ってきてしまうんです。

そんな日は窓を閉めるのですが、部屋が蒸すんです。

それに今は洗濯物を部屋干しにしているのですが、たまには外に干したいと言う気持ちもあります。

そう言う理由から屋根を付けたいと思っているんです。

 

連休前日、身体に異変がありました。

軽く関節が痛いし、だるいし、フラフラする。

なんだろう?

症状としては軽い。

気のせいかな?

症状が強くなるようだったら台風が来るのでは無いだろうか?

そんな事を考えていました。

 

連休初日は寝起き朝5時に骨粗鬆症の治療薬のアクトネルの摂取日だったのでまず水道水でアクトネルを飲みました。

そしてウッドデッキに取り掛かりました。

朝も早いのでご近所迷惑になるのでまだ電動工具を使えません。

どこをどうするかじっくり考えます。

グランドに木材を横にして屋根の勾配をイメージします。

ネットで調べる限りでは3寸勾配、4寸勾配等と材質によって変えるなどと書いてありますが、素人には何を言っているのかよくわかりません。

3寸勾配と言うのは10寸水平に移動した時に3寸下がる事を言い、4寸勾配と言うのは10寸水平に移動した時に4寸下がる事を言うようです。

寸と言われてもピンと来ません。

メートルに換算すると3寸勾配は303㎜水平に移動したら91㎜下がり、4寸勾配だと303㎜水平に移動したら121㎜下がるようです。

数字が中途半端ですね?

そこまで細かくしても斜めに切るのに精度が出ないと考えました。

これは分かりやすくした方が賢明だと1000㎜で100㎜下がる様にしました。

板の長さが2340㎜なので234㎜下げれば良いのですが、ここも細かい数字になるのできりが良い所で200㎜にしました。

そして横たわらせている柱となる木材を寸法通りの距離を保って置き、そこに屋根の下となる木材をあてがってケガキを入れます。

ノコギリでギコギコとケガキに沿って切りますが、体力が無くなった自分にはかなりキツイ。

斜めに柱を切った所で7時になりましたので、自分ルールで電動工具の使用許可が出ました。

補強の板が来る所を板がハマる様に切り込みを入れます。

補強の板の方も切り込みを入れます。

 

屋根の柱が来るウッドデッキの床材を外します。

先ほど切り込みを入れた柱をその外した所の根太に入れます。

が、ぐらぐらします。

大引を付けますが上が安定していないのでまだ、ぐらぐらします。

上の切り込みを入れた部分に補強の板を入れます。

ここでトラブルが発生。

柱の間隔が前後左右で違います。

30㎜ずれているのです。

これを修正するのは一人だと結構難しい。

でも、頑張りました。

何とか一人で修正しました。

この時、補強の板は固定はせずにクランプで止めるだけにしていました。

 

ふと、時計に目をやると、お昼の12時です。

時間が経つのが早かったです。

やはり、涼しくなると作業が捗ります。

7時間も作業していたので、初日はこれで止めました。

 

2日目は板の補強から作業を再開です。次回に続く

 

 

クローン病患者が見た連休の人込み

前回のあらすじ

物の扱い方について私物とそれ以外で違う人がいると言う事を書いた。

 

今回は連休の人の過ごし方について思う事があったので書きたい。

 

GO TOキャンペーンで10月から東京も加わる事になり経済を回すことに本格的に動き出すのかな?と言う感じがしています。

ただ、新型コロナウイルスは抑え込めているのですかね?と言う気持ちもあります。

 

この連休は人がたくさん出ているとニュースでしていました。

ニュースで見たのは都内だと銀座や原宿と言った、以前は人がたくさん出てたところでした。

この連休はかなり人が戻って来たようで混んでいましたね。

 

各観光地や遊園地も混んでいました。

遊園地では乗り物の順番を取るために並んでいたのですが人が多く前後の距離も狭かったですね。

 

羽田空港も人が多く来ていて、駐車場が満車で空き待ちの車がたくさんいました。

駐車待ちで飛行機に乗れなかったらどうなるんだろう?と呑気な事を考えながらニュースを見てました。

 

連休最終日の夜8時位でも各高速道路が30㎞クラスの渋滞していて「明日から仕事なのに大変だなぁ」なんてこちらも呑気に見てました。

遊び疲れているところに渋滞なんてイライラMAXだろうと思います。

「運転気を付けてくださいね、運転手の疲れもあるけど、煽り運転もいるだろうしね」とも思っていました。

 

呑気にテレビを見ながら「なんかこの光景に似たようなのを見たことがあるな」と思ったのです。

 

それは中国や韓国で数か月前に新型コロナウイルスが収束化したと言って観光地や繁華街が人がたくさん出ているニュースでした。

その時のコメンテーターのほとんどが「危機感が無い」と言うようなコメントでした。

それと同じような光景に映ったのは自分だけでしょうか?

 

今回はこの光景を非難する人はいないだろうなと思います。

ただ、この時にまた思ってしまったのです。

この人混みを作っている人は人混みを作ろうと思って家を出たのだろうか?って。

多分、そんな深い事は考えずに単純に「今日は楽しみだな」って思いながら家を出たのだと思います。

人は意図せずによろしく無い事に加わってしまっている事があります。

本人もビックリするような事態にしてしまっている事もあるのでは無いでしょうかね?

そして、話がそれた事を考えてしまいました。

 

「人は本人の意志とは関係無く人に迷惑を掛けてしまう事があるのではないだろうか?」

誹謗中傷をする人ってこんな時も誹謗中傷するんでしょうね?考えが浅はかだと、考えれば分かる事だろうと。

でも、世の中そんなに単純な構造になっていませんよね?

世の中に完璧な人っていないのですから。

そもそも、完璧な人ってなんだろう?とは思いますね。

人それぞれ、好き嫌い・得意不得意等々ある訳です。

そうなると何を持って完璧と言うのだろうか?

ある特定の分野については完璧な人はいるかもしれない。

全ての事が全て完璧なんて無理ですよね?反語があるんですから。

 

誹謗中傷を考えたら何も言えないし何も出来なくなります。

そもそも、誹謗中傷って「誹謗中傷した人の価値観の押し付け」ですからね。

それに発言する人って圧倒的に誹謗中傷の人が多いですからね。

賛成の人ってよっぽど感動したりしないとお礼の声を出さないような気がするんです。

その為に誹謗中傷が世間の言葉の様に聞こえてしまうのでは無いでしょうか?

 

話がかなりそれてしまいました。

この連休の東京の感染者数が100人を切ったとニュースでしていたけど、検査数がどうなんでしょうかね?

結果は2週間後に出るでしょう。

 

次のテーマとタイトルは未定・・・次回に続く