クローン病よ、良い子だから、ね

クローン病になっての心境や環境の変化、治療に関することを書いていきたいと考えてます

クローン病患者の母の火葬

前回のあらすじ

母の告別式について書いた

 

今回は火葬場での出来事を書きたい。

 

 

母の告別式が無事に終え、休む間も無く火葬場へと移動です。

自分の車を出動させます。

同乗者は母の友人とその娘さんです。

移動時間は30分位だったと記憶してます。

両親が住んでいるので自分が生まれ育った実家と思われていますか?

実は兄が先にその場所に住み、両親が現役を終えてお世話になっているのです。

よって自分は全く土地勘が無い。

カーナビだけが頼りです。

 

無事に到着していざ降りようとしたら物凄い雨です。

母が泣いているのかな?

それとも嫌がっているのかな?

だから、早く起きないと焼かれちゃうよって言ったでしょ?

泣きたいのはこっちだよ。と思いながら車を降りました。

 

火葬場の前室に通され、本当のお別れです。

曹洞宗の慣わしなのでしょうか?

お水をあげて、その次に線香をあげました。

母は本当に亡くなったのでしょうか?

最後に頭と頬を撫でましたが起きません。

おもいっきり大声で呼んだら帰って来たかな?

でも、ドライアイス効果でしょう。

冷たくなっています。

自分の友人のお母様が亡くなられた時に「あの冷たさじゃ目を覚まさない」と言っていたのが思い出され、実感しました。

確かにこの冷たさじゃ、仮に息が有ったとしても冬眠状態でしょう。

母は本当に頑張ってくれました。

「ありがとう」

と一言だけ声を掛けた離れようとしたら義姉が

「よく頑張ってたよ」

と言ってくれたのです。

それを聞いた時に凄く嬉しかった。

「お母さん良かったね、誉めてもらえたよ」と更に声を掛けました。

 

喪主である父が最後に確認して棺の蓋をしました。

悲しいことに電動ハンドリフトで移動です。

死んだら人は「者から物」になるんですね?

寂しいものです。

自分達にとっては大切な「母の身体」だけど全くの赤の他人にはそんな想いは無い。

ましてや火葬場のスタッフは1日に何体もの遺体を火葬する訳ですからね。

 

火葬の窯に入れられる時に「お母さん、もう、泣かないよ」と自分の涙も一緒に燃やして貰いました。

 

焼き終えるのに一時間半を要するので別室で待機です。

 

4人掛けのテーブルに父・兄・姉と一緒に座りました。

父は元気が無い。当然ですよね。

ここで事件がありました。

自分1人で母への思いに耽っていると兄と姉が父を責めてます。

どうしたのかと聞き耳を立てるとどうやら

「父の兄弟は誰も来て貰えてないけど連絡したのか?」

と言うことらしい。

自「済んだことなんだからもう良いじゃないか」

兄「そうじゃない」

自「じゃ、今から電話して来て貰うの?それは無理だろ。」

兄「・・・。」

父「俺は本家から必要とされていなかったから連絡する必要無いと思った」

姉「でも、連絡待ってるかも知れないし、向こうからは聞けないでしょ?」

父「俺は連絡する必要無いと思った」

姉「だけど待ってるでしょう」

自「だったら、お前が連絡してやれば良かったじゃん。お父さん1人が悪いのか?」

姉「・・・。」キッと自分を睨む。

兄「それはそうだったな」

そう言って兄は席を立ち、姉はまだ何か父に言っている。

自「もう、責めるのは止めろよ」

姉「責めてない」

自「責めてる」

姉「責めてない」

自「お前は責めてんだよ」

父「もう、俺も長くないからさ、これ以上責めないでくれよ」

そんなこんなの一悶着がありました。

人がいる中で醜態をさらしました。

 

父は昔から自分と一緒に住みたいと言っていました。

自分も何度か両親にいつでもおいでと言っていました。

その為に家も買いました。

でも、母にとっては自分はもちろんのこと、兄も姉も大事な子供だったのです。

だから母は相性よりも昔からの慣習である長男に世話になることを選択しました。

両親が虐待を受けていたのなら間違いなく自分が引き取った。

それも無かったので自分は母の意志を尊重するしかない。

 

父は最後は母の側にいたいらしい。

兄と喧嘩別れして一緒の墓に入れないのは嫌らしい。

それはそうだよね。

 

父・兄と自分の3人になった所で提案した。

自「墓と仏壇はどうするの?」

兄「墓の場所はあるけど石はない。仏壇まで頭が回ってない」

自「墓は小さいので、仏壇はお母さんのを使ったらどうか?」

父「(目を輝かせて)仏壇はそれが良い。お母さんを想っていられる」

兄「そうなのか?」

自「お母さんは俺らが大変な思いをするのは願っていないし、お母さんのはずっと使ってきて思い入れもあるし、仏具屋で買ってくる本尊はただの置物でうちの本尊の方がよっぽど価値がある」

兄「そういう考えもあるな」

父「俺はお母さんのが良い」

 

そんなこんなでスタッフに呼ばれました。

遺骨を見せられました。

しかし、粉々です。

自分は土葬とかでよく見る遺骨を想像していたのでガッカリでした。

後日考えたら、出すときに叩いたのでしょう。

確かにそのままで出てきたら怖がる人もいるだろうし、何より骨壺に入らないのでしょう。

でも、寂しい限りです。

 

親戚や母の友人が下半身の骨を拾い、家族が上半身の骨を拾います。

でも、粉々で箸で掴める大きさはそうそうありません。

最後はスタッフが、ホウキでかき集めてます。

なんだかなぁと思いながらその光景を見てました。

 

遺骨は自分の車で移動する事にした。

最初、姪が抱えていたが、「大変だろ」と半ば強引に引き取った。

それには訳があった。

自分の車には母の友人が乗っているのでその友人に抱えて貰いたかった。

母が一番喜ぶと思ったのです。

友人も察してくれたらしく、「ありがとう」と言ってくれた。

 

そのあとに「さっきもめてたみたいだけど?」と聞かれたので経緯を説明しました。

 

また、葬儀屋に戻り、初七日と四十九日法要です。

その後は食事になります。

 

着いたら兄が駆け寄ってきました。

なんだろう?と思ったら「食事の時に献杯の挨拶をやってくれ」

「わかった」

この時、兄は葬儀屋が用意した台本があるけど自分は全部自分で考えないといけない。

まぁ、別に良いんだけど、余計に口ばっかりの姉に腹が立つ。

 

法要は特段変わったことはなく執り行われた。

食事が出てきた。

何日ぶりの食事だろうか?4日ぶりですね。

この間、エレンタールも飲んでいません。

でも、まだ、気を緩める訳にはいかないので煮魚と茶碗蒸しだけ手を付けました。

刺身や天ぷらなど美味しそうなのいっぱいあるんですけどね。

食事の途中に母の友人の帰りの電車の時間になるからと言われ、駅まで送って行くことになりました。

お礼をしっかり言い、汽車が出発するまで見送りました。

 

葬儀屋に戻ると親戚は帰り、残った人も普段着になってます。

あー、そーなんだねーと思いながら1人で着替えです。

 

兄の家に戻り遺骨等を受け取る。

父に仏壇の事を確認した。「お母さんはお父さんがお金で苦しむのを望んでない、そんなのお父さんが一番知ってるだろ」

父が泣いて「そうだよな。うん、お母さんはそう言う人だ」

父の意志を確認したので再度、兄に火葬場で提案した事を提案した。

自「だいたい、現役じゃ無いし、誰が線香をあげさせてくれって言いに来る?自分と姉位だろう」

兄「そうだな」

父「俺がお母さんのをしっかり世話するから俺が生きている間はこのままにして貰えないか?」

兄「考えてみる」

 

自分は帰るのは翌日にしてホテルに泊まることにした。

トイレの独占とマスクの着用からの解放が目的です。

 

しばらくして兄に呼ばれた。

兄「香典の集計をお父さんの前で一緒にやってくれないか?信用してないらしい」

自「わかった」

 

父の所に戻り急に父がある1人の香典の額を半分にして出してきた。

袋に額が書いてあるからダメだと言い戻させた。

その代わり、お花代を包んでくれた人がいたのでそれはポケットに入れるように指示した。

父はもう、自分以外は信じられなくなっていた。

 

香典の集計を済ましホテルに移動した。

スーパーがあったので飲料を買って飲んだら、地獄が始まりました。

今夜はゆっくり眠れると思ったのにトイレから離れられません。

 

1時間位寝たかな?30分かな?

チェックアウトして兄の家に向かった。

5日間で睡眠1時間。やれるもんだね?

あっ、これから500kmの道のりがあるんだった。

 

母に線香をあげて軽く会話をして13時に出発した。

犬猫がいるから帰らなくてはならない。

 

帰路は泣かなかった。

 

 

次は帰ってからの日々を書きます・・・次回に続く