クローン病患者が思う価値観の違い
前回のあらすじ
母親と意外な所で共通点を見つけたのでその事について書いた。
今回は価値観の違いについて思うことがありその事について書きたい。
価値観が違うので仲違いをしたと言う話をたまに聞くがそれは決別する決定的な物になるのであろうか?
そんなのは双方が子供だっただけだったのでは?
人は人、自分とは違うのだから価値観も違うのでは?
以前の自分はその様に感じていた。
その頃の自分は心に余裕があり、自分に自信があったので容認する事が出来たのだと思う。
いわゆる女性の理想のタイプに挙げられる「包容力のある人」・・・あれっ?違うかな?自分はもてない・・・。
まぁ、自分は心に余裕があり、自分に自信があった。
でも、病気になって心に余裕が無くなり、自分に自信が無くなった。
些細な一言、些細な行動が目につき、引っ掛かる様になった。
そんな時の自分が嫌いになる。
人は自分では無いのだから価値観が違うのだから。
と思えなくなっている。
相手は悪気は無いのにね。
それはわかっているからグッと我慢してる。
これがどこに行っても這い上がれる自信があれば笑って流す事が出来るのであろう。
何年と同じ時間を過ごした仲でも相手の事をちゃんと理解しているだろうか?
理解した気になっていないだろうか?
でも、それは思い上がりでは無いだろうか?
自分が病人だからと言って病人の気持ちはわかると思い上がったりしてないだろうか?
水泳選手の池江璃花子さんが退院されましたね。
おめでとうございます。
でも、コメントで印象に残った所がありました。
「大丈夫、大丈夫、いつか終わる」と自分を励ました。
とありました。
それを聞いた時、瞬間的に「良いな、羨ましい」と思いました。
クローン病の終わる時っていつ?
亡くなるとき?
治療を止めたら苦しいだけで、治療をしないよりした方がましだからするだけ。
病人だからと言って同じ気持ちでは無いのですね。
病気によって思うところは違うようです。
いずれにせよ、良かったですね。
焦らずに身体を慣らしてまたトップアスリートとして頑張って下さい。
話がそれてしまいました。
ここまで分析出来ているのに、それでも引っ掛かっている。
これは余程の重症だな。
人間関係は難しいですね?
あと、価値観で難しいと言うよりも不思議な事ってありますよね?
自分が考えて考えて考え抜いて喜ぶだろうと相手の喜ぶ顔を思い浮かべながらワクワクしてやった事が「あっそう」位の反応の時って無いですか?
この、肩透かし感が半端無いです。
知力・体力・労力・財力・時間の無駄遣い。
たまりませんなぁ。
それと反対に何気無く無意識にやった事が非常に喜ばれる時ってありますよね?
一生の恩人になれたんかな?
と言う位の喜ばれよう。
調子に乗って後付けの大義名分を語っちゃったりしてね。
「策士策に溺れる」と「無の境地」なのでしょうか?
そんな事よりも早くクローン病の事を理解出来るようにしなきゃ。
次のテーマとタイトルは未定・・・次回に続く