クローン病よ、良い子だから、ね

クローン病になっての心境や環境の変化、治療に関することを書いていきたいと考えてます

クローン病と試練

前回のあらすじ

生命維持として生きる目標みたいな事を書いた。

 

今回は以前、ドラマで

「神様は乗り越えられる試練しか与えない」

と言うセリフがあったが、その事で思う事があったのでテーマとして書きたい。

 

健常者にとっては受け入れられる言葉でも病人や障害者、どん底に落ちた精神状態では理不尽で納得出来ず簡単には受け入れられない言葉がある。

 

自分が思い付くのは

「神様は乗り越えられる試練しか与えない」

がある。

これはドラマで使われたセリフです。

このドラマは面白く見ていて、このセリフが出た時は「良い言葉」と認識した。

 

当時、健常者であった自分は仕事で上手くいかない時はこの言葉を思い返して、奮い起たせていた。

 

しかし、この言葉に疑問を抱く出来事があった。

以前、介護をしていた事があり、その時に疑問を感じた。

神様は自分に試練を与える為にこの人を「被介護人」にしたの?

自分の為に巻き込んだの?

と、思ったのです。

 

更にこの人が亡くなったら自分の為に犠牲者にさせてしまうの?

ちなみに亡くなったら自分には何が残り、どのように強くなれるの?

そしたら、「それは違うし、ダメだよね?」と思うようになりました。

 

そして、介護する必要が無くなり忘れかけた時に今度は自分がクローン病になってしまいました。

その時はこれだったらまだ話はわかる。

「病気を乗り越えて強くなれば良いんだよね?」とね。

そして、クローン病に立ち向かう事を誓った。

 

それが、治療が一切上手くいかない。

様々な生物学的製剤を試したがどれも効果が低く、寛解には至らない。

また、疑問を抱くようになった。

「なんなの?どうしろと言うの?」

段々、この言葉を聞くのが辛くなってきた。

今はこの言葉は受け入れられないです。

「もうこれ以上強くならなくて良いから、クローン病から解放してくれ」と思います。

今日は比較的調子が良いかな?

この言葉について書くことが出来ていますしね。

 

同じ言葉でも聞く人の精神状態によっては励みの言葉にもなるし追い込み落とし入れる言葉にもなる。

気を付けなくてはならない。

 

自分は昔から人を励ましたり慰めたりするのが苦手です。

この事を知って益々苦手になりました。

そうか、聞く人の精神状態によっては苦しめる言葉になるよってのを教えてくれたんだ?

これが試練だったんだね?

 

ちなみにこの言葉は元々は宗教的な教えです。

ただ、翻訳が違っているらしく、「試練ではなく誘惑」との事です。

誘惑だったらどんな時でも使えますよね?

だいたい誘惑って欲望を満たしたいのに出来ていない時に来ますからね。

それに打ち勝てってストイックにって事ですよね?

 

言葉には励ます力もあるし、傷付ける力もある。

勇気を与えている時はもちろん良いです。

問題は何気無い一言に傷付く人がいるって事です。

悪気は無くても本音が出たらそっちの方がたち悪いです。


自分も励ましたつもりが相手を追い込んだり苦しめたり傷付けた事があります。

当時は自分の言葉を理解出来ないのが悪いと思っていたと思います。

でも、今は違います。

申し訳無かったと思っています。

これもたまにフラッシュバックします。


相手の為にも自分の為にも発信は慎重にしましょう。

 

次のテーマとタイトルは未定・・・次回に続く