クローン病患者が高橋尚子さんの募金ランに思うこと
前回のあらすじ
整形外科で首の牽引治療を受けている時に意識が朦朧とした事を書いた。
今回は24時間テレビの高橋尚子さんの募金ランについて思うことを書きたい。
24時間テレビをやることについての賛否は別として、高橋尚子さんが走った距離に依って募金をすると言うことが話題になっていた。
この走った距離に依って募金金額が変わると言う今までの試みとは違い、新しい事に挑戦である。
新しい事に取り組む時は賛成する意見もあるが、批判的な意見が多くなる。
何故なのだろうか?
そもそも批判をする権利があるのであろうか?
批判的な意見としては下記のような物を見た。
訳がわからない
走らされてなおかつお金も取られるなんて
走った分、スポンサーに出して貰ったら
等々がありました。
訳がわからないと言う人は自分の物差しを越えた所の話なので、理解出来ないのでしょうか?
走らされてなおかつお金も取られるなんてと言う人、走らされてと言う考えがまず的を外しているのでは無いでしょうか?
走った分、スポンサーに出して貰ったらと言う人、それは従来のやり方ですよね?
憶測ではあるが、批判をする人は自分の環境の変化や利害が気になるのでは無いですかね?
偽善者や売名行為とか言っている人もいました。
このような話が出るといつも思うのです。
偽善者で多いに結構
売名行為で多いに結構
犯罪とか人を騙したりは流石に反対です。
でも、売名行為は立ってるものは親でも使えで良いのでは無いですか?
ちょっと脱線しました。
偽善者でも売名行為でも募金を出来る力を持っていることが凄いのでは無いですか?
批判している人はただ単に嫉妬してるの?と思ってしまいます。
そして、高橋尚子さんの持ち込み企画なのかどうかは知りませんが、高橋尚子さんが出来ることを考えた時に「走る事だ」となったに過ぎないのでは無いですかね?
これが他のスポーツの人だったそれになるだろうし、絵とかの文化系だったらそちらになるのでしょう。
たまたま、従来のマラソンと高橋尚子さんの得意とするマラソンで合致したに過ぎないのでは無いですかね?
自分の憶測で話をするのもどうかと思うけど、走るのは募金をする切っ掛けに過ぎないのでは無いのかな?
考えすぎですかね?
それにしても募金額は470万円ですよ?
凄いなと本当に思います。
それだけ出したら宣伝費にしても良いのでは無いですか?
自分は物事に否定しなければならないと言う意見があるのは理解しています。
言論の自由が脅かされますからね?
でも、批判するのはここではないと思いますよ。
発しようとしていると言葉は今、ですかね?
次のテーマとタイトルは未定・・・次回に続く