クローン病よ、良い子だから、ね

クローン病になっての心境や環境の変化、治療に関することを書いていきたいと考えてます

クローン病患者が生と死について考えた

前回のあらすじ
クローン病の困った所と生き方について書いた。

今回は生と死にもう少し踏み込んだ所を書いてみたい。


本人と他人から思われる本人については以下のようにあげられる。

生きたいと願う人がいる
生きてもらいたいと願う人がいる
生きたくないと願う人がいる
生きてもらいたくないと願う人がいる

これの組み合わせはどのような物だろうか?
他人の本人への思いはゼロから無限対数なので「そう思う人もいる」と変数になる。


1.生きたい+生きて貰いたい=生きるべき
2.生きたい+生きて貰いたくない=生きるべき
3.生きたくない+生きて貰いたくない=生きなくても良い
4.生きたくない+生きて貰いたい=?

1と2については迷う事無く生きるべきでしょう。
3については衝撃的だが冷静な見方をすると生きなくても良いとなるでしょう。

今回考えたいのは4です。
これは難しい。
本人は生きたくないのに周りが死なせてくれない。
これはどの様な時に起こりますか?

たぶん、周りからすると生きてもらわないと莫大な損失が生じる時が考えられます。
もし自分がその立場になったらなんとか最後の力を振り絞って死ぬを達成しますがそれも許されない状況でしょうから正に生き地獄ですね。
それでもずっと死なせてくれと叫び続けるでしょう。

もし、意志や意識が無かったら?

自分は病人である為に辛い思いをしてまで生きたいとは思わないので生きたくない人に生きろと強くは言えない。
しかし、健康な故にどんな姿でも良いから生きて貰いたいと生きろと強く言える人もいる。

意識がある人には生きたいのか否か確認が取れる。
意識無い人には?

これ、何を思い浮かべながら書いていると思います?
読んでくれている人はわかると思いますが「母」です。

改めて母の事を思い返していました。

母が亡くなる前の兄との電話で自分は「延命治療はしなくて良い」と進言した。
それは母との通常の会話の中で「生きるのが辛い」と聞いていたし、その気持ちがわかったから。
しかし、兄は延命治療を選んだ。
そして母は延命治療中に亡くなった。
葬儀後、兄から「生き恥をさらしたくなくて自ら死を選んだのかな?」と聞かれた。
本当の所はわからない。
だけども一つ言えるのは「自分も兄も母を思っての言動」だった事は間違いない。
自信を持つべきだ。


死んだ人はその後、どうなるか本当の所はわからない。
でも、1つわかっているのは残された人には爪痕、いや、傷痕と言っても良いが残される。
この傷痕は癒される事は無い。
決して無い。
何故なら唯一の治療薬の死んだ人がいないのだから。
死んだ人は戻って来ないのだから。
厳密に言うとペットも当てはまる。

ピンっと来た人はよく読んでくれてる人ですね。
そう、飼っていた猫の事です。
最後、自分の腕の中で看取れたので良かったと思っています。
ただ、猫は最後まで生きたかったのだろうと思います。
猫は生きたいのに自分はそれを許さなかった。
早い段階で病院に連れて行ければもしかしたらと今でも思う。
今考えると、本当はダメですよ、やってもいないですよ、エレンタールあげたらどうだったのだろう?
液体がダメならゼリーにしてあげたらどうだったのだろう?
と、思ったりもします。


しかし、過去は変えられるのである。


以前にも書いたが過去は変えられるらしいのである。

その事についてはまた日を改めて。



死の話と言うのはどうしても暗くなる。
でも、大事な事なのです。

少なくとも延命治療をするのかしないのかは聞いといた方が残された人は爪痕で済みます。
後は後悔の無いように接する事です。
自分は母に対しては未だに後悔の念は無い。
もちろん、何かを見て「母が良く行っていたな」「母はこれを美味しそうに食べていたな」「母ならこう言うだろうな」とか思い出とか母だったらと言う思いはありますよ。
だけど、「これしてあげたかった」「こうしてあげれば良かった」とかの思いは無い。
それは救いですね。

いつも問いたいのが「昨日も今日も逢えた人と明日も逢えますか?」と言う事。


あなたは両親、配偶者、子供、友人、恋人等の延命治療の有無を決断しなくてはならないときはどうしますか?


次のテーマとタイトルは未定・・・次回に続く