クローン病よ、良い子だから、ね

クローン病になっての心境や環境の変化、治療に関することを書いていきたいと考えてます

クローン病患者の母とお別れしてから(父・兄編)

前回のあらすじ
母が亡くなり葬儀関連も一通り落ち着きその後の自分の事を書いた。

今回はその続きにはなりますが、家族のその後について書きたい。

1.父の事
自分が自宅に帰ってからはずっと気になっている。
それで電話をしても最初は出ない。
しばらくすると折り返しの電話が来る。
「大丈夫か?」と訊くと「大丈夫だ」と言う。
「何か必要な物はあるか?」と訊くと「無い」と言う。
そして「もう、何も送らなくて良いよ。」と言ってくる。
父は栄養ドリンクを毎日飲んでいたので、送ろうか?と訊くと
「俺はもういらないんだ」
悲しくなる。
電話もすぐに切りたがる。
何回か電話したがまず1分どころか30秒もしないで切ろうとする。

そんな日々を約3週間過ごしてみると少しずつ少しずつ、声に張りが出てきた。
安心した。
そしてとうとう、「そっちに行っても良いか?もちろん納骨済んでからだけど」と言ってきた。
すっごく嬉しかった。
「もちろん。何日でもいてくれ。」と答え、更に「その為には健康でいないとダメなんだよ?」と追加で話したら
「そうだよな。倒れたら行けなくなるからな」と悲しみはあるとは言っているが、声に張りがあり全然違う。
まだまだ、大丈夫だなと確信した。
自分も父が来る前に体調を戻して仕事にも遅刻しないで行けるように頑張らないと。


2.兄の事
なんだかんだで一番連絡を取っている。
位牌の事、墓の事、香典やお返しの事、両親の事、義姉の事、自分と両親の関係の事、自分と親類の事、兄自身の事様々な事をメールや電話で話しました。

兄は兄で色々考えるところがあったみたい。
自分が成田山新勝寺に行った日に電話がかかってきた。
母の亡くなった日に遡るが、最初兄と電話で話したとき自分は「もう、延命治療は止めた方が良い。寝た切りになったら父・兄・義姉の負担が大きいし母も望んでいないのでは無いだろうか? 人工呼吸器までにしてそれ以上はしない方が良い。下手に手を出したら命を落とす気もするし」と提案した。
しかし、兄は24時間人工透析のバイパスの手術をする事を選択した。
母はその手術中に心臓が止まり、還らぬ人となった。
自分は兄の選択を責めるつもりは毛頭無い。
自分は母と周りの人の事を考えてバイパス手術をしない方が良いと言った。
兄は医者と話して母が少しでも長生き出来るのならと手術を選択した。
兄も自分も母の為に考えた。
母の死はあくまでも結果であって、母が亡くなれば良いと選んだものでは無い。
だから、これ以上はタラレバの話であるので誰も正解はわからない。
それを責める事に意味は持たない。

自分の学生時代の話もした。
自分が大学3年の時に親の事業が失敗し、両親は夜逃げした。
兄と姉は助けてくれなかった。
それどころか電話すらくれなかった。
もう、自分が両親を守るしか無いと覚悟を決めた。
弁護士は頼んだけど債権者からの電話や訪問はあった。
この時は辛かった。
自分が一言、両親の居場所を債権者に教えれば楽になれたのだろうけど、自分は両親にはどんな姿であろうと生きていて欲しかった。ただその一心だけで耐えた。
廃業の手続きも自分がした。
なぜ、この話になったのかはわからない。
ただ、自分にとっては学生時代の思い出は消し去りたいものである事は伝えた。
兄は謝っては来なかった。
兄は家を買って両親を引き取る事を考えていたらしい。
言わなかったけどそれはどうなのか?とは思った。
来年、再来年、5年後、10年後の事を考える事も必要である。
しかし、今日を乗り越えられなければ明日は無いのである。
実際に母がそうでしょう?
母が楽しみにしていた干し芋がそうである。
毎年頼まれていたが、今回も11月頃に頼まれていた。
しかし、手に入るのは2月だからそれを楽しみに長生きしてくれと話をしていた。
近々、手に入る事だろう。
たぶん母の位牌に供えて「食べて」と言うだろう。
それに何の意味がある?
いくら、あの世で美味しく食べているよと言われても、母の美味しそうに食べてる笑顔は見れないし、干し芋は物体として残ってるでしょう。
だから、干し芋は11月に手に入れていなければならなかった。2月ではダメなのです。
と言うことで、兄の家を買って両親を引き取ると言うのは自分からすると後付けの罪滅ぼしでしかない。

本当は兄が両親を引き取れたのは自分が守ったからなんだよと言ってやりたい。
でも、ここはグッと我慢しようと思う。

葬儀中はさほど感じていなかったのだが、兄も母を失った事について寂しさを感じているようだった。
月に数回、兄の休みの日は両親と温泉に行っていたみたいで、母とよく行った場所巡りをしたみたいです。
父を誘ったらしいけど行かなかったみたい。
父と兄を繋いでいたのは母だったのでしょう。
母の存在は大きかったと痛感したらしいです。

そう言えば、葬儀の朝に兄がみんな何も食べていなかったので、おにぎりやパン類を買ってきた。
その中で母が好きだったと言う、鮭ハラスのおにぎりを買って来て、母が好きだった物と言いながら配っていた。
自分も食べたかったが体調を悪くするのが怖くて食べなかった。

またしても身内の恥さらしをしてしまいました。

次のテーマは姉の事にします・・。次回に続く。