クローン病よ、良い子だから、ね

クローン病になっての心境や環境の変化、治療に関することを書いていきたいと考えてます

クローン病になると・・・そういう扱いになっちゃいますよね?

前回のあらすじ

クローン病生活のトリセツとして「共通編」「通常時」「不調時」「重症時」「ステロイド投与時」として、果たしてトリセツとしてまとまったかは疑問ではあるが、その時その時の症状と注意事項と自分なりの対処法を可能な限り、開示出来たかな?とは思ってる。

 

前回のステロイド投与時にもちょっと触れたが、会社での立場がかなりやばくなっている。

 それは自分が悪いので、仕方無いことだと諦めている。

その事を受けて今回はクローン病になってから環境の変化についてまとめようかな?と考えている。

これって、非常に危険な所に踏み入る感じもするけど、避けて通れない事でもあるかと思う。

そして、注意してもらいたいのだけど、決して、否定的・悲観的な事を訴えたいのでは無い事は分かってもらいたい。

物事を受け止める時にどの方向から受け止めるかによって、それが全く違う事になります。

全て受け方次第で好意的にも悪意的にもなる。偏った見方はしないでください。

 

自分は人間関係には非常に恵まれていて、みんなには感謝しているし、みんなのお陰で、今、存在することが出来ていると、心の底から思っています。

ただ、どうしても、その人の立場って言うのがあり、その人の「部分最適全体最適」を十分考えた結果の決断だと理解しています。

 

1.入院前

  • 問題ごとがあると、一番最初に自分の所に耳に入るようになっていて、可及的速やかに対応し、その時のベターな解決を選択していたので、期待と信頼をされていたと思う。

  • 外出時にも部内外から相談、指示待ちの電話が鳴るくらいだったので、検査入院が決まった時は工場運用の事なのか、自分の身体の事なのかどちらかは本人たちに確認をしないとわからないが、不在にする事を不安がられた。

  • 自分としても仕事には疲れていたが、2,3日のバカンス気分での入院だと思っていた。

2.入院中

  • 工場の№2と言う立場でもあり、毎日、電話・メールでの指示を仰ぐような連絡があった。

  • 様々な人が見舞いも頻繁に来てくれていた。
    早めの復帰を望まれていることがヒシヒシと伝わってきた。

  • 早く、退院して仕事に戻らなくてはならないと使命感に溢れていたし、体力をなるべく落とさない様に毎日、病院の階段の上り下りを何往復もして、日中はベッドで横になる事はしなかった。

3.退院後直後

  • 退院直後はかなり体重は落ちたが、遅刻もすることなく、キチンと会社に通えていたので、周りから以前と変わらない、接触があった。

  • ステロイド休薬後、徐々に体調が悪くなってきた。

  • 痛みでうずくまる事もあり、なるべく、危なくなったら誰もよらないような所に移動し、うずくまっていたが、見つかると心配された。

4.遅刻するようになってから

  • トイレで朝の出勤がいつからかまとも出来なくなってきた。

  • この時もまだ、心配されていた。

  • みんなから、クローン病に関する情報が新聞やラジオでやっていたと連絡をくれるようになって、心配してくれていた。

  • 他の大学病院に知り合いがいるなどの情報と紹介をしてくれる人たちが出てきた。
    ありがたい事だと心から思っていた。
    でも、お世話になっている大学病院はセカンドオピニオンの時点で「転院扱いになる」と言う事で、それは困るので保留した。
    主治医は紹介された先生とも親交があるとの事。この時点で「大学病院から大学病院のへ転院は意味なし」と判断した。
    それ以降、紹介の話は気まずく感じるようになった。

5.休みがちになるようになって

  • 最初の頃は「今日は休みなんだね?無理しないで?」と言う、優しい言葉をかけてもらえてた。
    本当にありがたいなと感じていた。

  • 頻繁に休むようになって一部の作業者から「自分たちが休んでも会社は同じように対応してくれるのか?」と言う、不満の声が上がるようになった。
    クローン病患者って見た目、健常者と同じですよね?
    わかりますよ、言いたい事は、自分、管理者ですから。

  • 社長の耳にも不満の声が伝わったのか
    「会社として公平な立場を取らなくてはならない」
    と言う事で減給される。

  • それでも、休みがちなのは変わらず。
    そりゃそうだ。
    別にサボっている訳では無く、体調が悪く、出勤できないんだから。

  • その1年後位かな?
    更なる減給になる。

  • 「今日来たんだ?」と言う、雰囲気になり、実際言われるようになった。
    頼まれ事も減るようになった。
    信頼を失ってきた。

6.入退院の繰り返し

  • 体調が悪く、頻繁に大学病院へ予約無しの再診を受診するようになった。

  • その内、何回も入院をするようになった。

  • 3回目の入院から、見舞い者が一人しか来なくなった。
    寂しいなと思うし、孤独感を感じるようになった。
    忘れ去られるのでは無いかと恐怖に似た感情も出てくる。

  • 2019/6 他の工場の工場長がこちらの工場も出入りするようになる。
    屈辱的ではあるが、会社の方針でもある為、現状、受け入れるしか無い。

  • 2019/7 全ての役職を外され、出勤日のみ給料が支払われる日雇い扱いになる。
    解雇されないだけ、良かったと思うしか無いかな?
    お金も欲しいけど、一番欲しいのは「健康保険証」
    この為に受け入れるしか無い。

  • 一部の人からはメールも来なくなり、書類も回無く、役職としての付き合いだったのだろう。
    まぁ、脱サラしたらもっと酷い扱いになると言うから、その予行演習をさせてもらったので良かったと前向きに受け入れる。
    受診したメールの宛先が以前は役職が付いていたのが、無くなり、呼び捨てにされる。
    馬鹿にされてる気分ではあるが、我慢だよね。



  • 工場の一部の人からは
    「少し休めって事だ」
    「また、返り咲けば良い」
    「今のうちに体力を温存しておけ」
    等、優しい言葉をかけてくる人もいます。
    こんな状態の自分にありがたいなと本当に思う。
    期待に応えるように努力する。

 

7.まとめ

  • 変わらない人は変わらない。
    変わる人は変わる。
    当然の事だけど、実感した。
    みんなに平等に世話したと思っていたんだけど、付き合いが長い人は変わらないが付き合いが短い人は手のひらを返したような態度なんだね。

  • うちの社長は社長の立場として全体最適を選ばなければならない。
    それは十分理解しています。
    その中でも情状酌量してもらい感謝しています。
    逆にそんな選択をさせてなければならない自分が情けなくなる。

  • 会社は何もしてくれないと嘆く人いますよね?
    そうじゃないんですよ。
    何も出来ないんですよ。
    医者じゃないから病気は治せない。
    ボランティアじゃ無いから、利益を出さない働かない者に給料は出せない。
    だから、期待に応えないとならないよね。
    でも、最悪の事態は想定していないとならない。
    そこの線引きは難しい。

 

今回は人が自分を見る目の変化を簡単に書いてみた。
つくづく、自分は人間関係に恵まれているなって思った。(一部、心無い人もいるけど)

この期待してくれている人たちに応えるためにも少しずつでも良くなるように頑張らないとね。

 

みんなありがとう。

次回テーマとタイトルは未定・・・次回に続く