クローン病よ、良い子だから、ね

クローン病になっての心境や環境の変化、治療に関することを書いていきたいと考えてます

クローン病患者が高橋尚子さんの募金ランに思うこと

前回のあらすじ

整形外科で首の牽引治療を受けている時に意識が朦朧とした事を書いた。

 

 

今回は24時間テレビ高橋尚子さんの募金ランについて思うことを書きたい。

 

 

24時間テレビをやることについての賛否は別として、高橋尚子さんが走った距離に依って募金をすると言うことが話題になっていた。

この走った距離に依って募金金額が変わると言う今までの試みとは違い、新しい事に挑戦である。

新しい事に取り組む時は賛成する意見もあるが、批判的な意見が多くなる。

何故なのだろうか?

そもそも批判をする権利があるのであろうか?

 

批判的な意見としては下記のような物を見た。

訳がわからない

走らされてなおかつお金も取られるなんて

走った分、スポンサーに出して貰ったら

等々がありました。

 

訳がわからないと言う人は自分の物差しを越えた所の話なので、理解出来ないのでしょうか?

 

走らされてなおかつお金も取られるなんてと言う人、走らされてと言う考えがまず的を外しているのでは無いでしょうか?

 

走った分、スポンサーに出して貰ったらと言う人、それは従来のやり方ですよね?

 

憶測ではあるが、批判をする人は自分の環境の変化や利害が気になるのでは無いですかね?

 

偽善者や売名行為とか言っている人もいました。

このような話が出るといつも思うのです。

偽善者で多いに結構

売名行為で多いに結構

 

犯罪とか人を騙したりは流石に反対です。

でも、売名行為は立ってるものは親でも使えで良いのでは無いですか?

ちょっと脱線しました。

 

偽善者でも売名行為でも募金を出来る力を持っていることが凄いのでは無いですか?

 

批判している人はただ単に嫉妬してるの?と思ってしまいます。

 

そして、高橋尚子さんの持ち込み企画なのかどうかは知りませんが、高橋尚子さんが出来ることを考えた時に「走る事だ」となったに過ぎないのでは無いですかね?

これが他のスポーツの人だったそれになるだろうし、絵とかの文化系だったらそちらになるのでしょう。

たまたま、従来のマラソン高橋尚子さんの得意とするマラソンで合致したに過ぎないのでは無いですかね?

 

自分の憶測で話をするのもどうかと思うけど、走るのは募金をする切っ掛けに過ぎないのでは無いのかな?

考えすぎですかね?

 

それにしても募金額は470万円ですよ?

凄いなと本当に思います。

それだけ出したら宣伝費にしても良いのでは無いですか?

 

 

自分は物事に否定しなければならないと言う意見があるのは理解しています。

言論の自由が脅かされますからね?

でも、批判するのはここではないと思いますよ。

 

発しようとしていると言葉は今、ですかね?

 

 

次のテーマとタイトルは未定・・・次回に続く

クローン病患者がまた飛んだ

前回のあらすじ

人を誉めたら最終的に自分を誉めているかもと言うことを書いた。

 

今回はまた、倒れたのでその事について書きたい。

 

自分はクローン病で病院にお世話になっている他に右手の親指と人差し指が痺れることがあって、整形外科にもお世話になっている。

整形外科では首の牽引と電気を流すのと肩の温めをしている。

それが終わるとリハビリに入る。

 

毎日行けると楽なのだが仕事が終わってからだと間に合わないので、土曜日しか行けていない。

週に一度でも行けるのと行けないのでは全く体調が違うので、何とか都合をつけて行くようにしている。

 

そして、行ってきました。

受付を済ませて待っているが、今日は患者が多い。

この時点でなんか嫌な予感がして、受付をせずに帰ろうかとも思ったけど、治療して貰いたい気持ちの方が強く、受付をした。

 

しばらく待っていると名前を呼ばれ治療室へと入る。

いつもはベテランの女性がしてくれるのだが、今日は新人の男性だった。

牽引を受ける準備が終わり、スイッチオンすると苦しい。

我慢しようかとも思ったけど無理だなと思い、一度緩めて貰った。

まだ、強い感じもしたが何度もやり直すと自分も面倒なので、そのまま続けて貰った。

牽引は約10分受ける。

やっぱり苦しい。

 

そして、5分経過した頃にこれはダメだなと思った。

汗が急に出てきた。

吐き気がしてきた。

視界が定まらなくなってきた。

「このままだと意識が飛ぶ」

そう感じた。

牽引を外してリハビリせずに家に帰ろうか?

でも、これは治療を中止しても意識が飛ぶだろうなと思ったので、帰りの運転に自信が無い。

そして薄れ行く意識の中で、「ここは病院なんだから倒れても良いんだ。具合が悪いことを伝えよう」と決めて、スタッフを呼んだ。

 

自「気持ちが悪くなってきたので牽引を外して欲しい。変な汗も出てきた。」

ス「電気だけ続けますね」

電気が終わりまた訴えた。

自「気持ち悪くて吐き気がするし、汗が凄く出てきた」

ス「看護師を呼んで来ますね」

しばらく待っていると看護師が来た。

この時、顔色はかなり悪かったらしい。

ベッドに横になり、血圧と酸素を測る。

この時にはもう、意識は朦朧としている。

血圧は上が114、下が75で酸素は95だった。

数値を聞いて意識が無くなった。

今朝の血圧は上が138、下が99だったので低い。

 

すぐに意識は戻った。

時間的には看護師との会話に問題なかった事から1秒、2秒の事だと思う。

 

足を上げて、枕を外して、頭に血が行くような体勢にして貰った。

 

しばらくすると意識もはっきりしてきた。

吐き気も無くなった。

汗も止まった。

 

原因はわからないみたい。

とりあえず脳貧血、酸欠と言うことで落ち着いた。

牽引の治具が頸動脈を押さえてしまい、酸素が足りなくなったと言うことにした。

今後は牽引の治具は緩めにセットすると言うことになった。

 

それから簡単な会話をして、問題ないことから退出した。

 

帰宅してからとりあえず、横になった。

2、3時間寝たら急に足がつった。

いつもは足の指、ふくらはぎがつることが多いのだか、今回はすねの部分。

膝を曲げても足首を曲げても指を曲げても治らない。

すねのマッサージを試みたが硬くて出来ない。

痛みが凄いし、気持ちは焦るばかり。

じっとしていると治まったので飲み物を取りに起き上がろうとすると、またつってしまう。

 

それでも何とか起き上がり冷蔵庫に行って飲み物と梅干しを食べた。

そしたら、間髪入れずにつるのは無くなった。

 

脱水症状も起こした様だ。

倒れたのとつったのは因果関係があるのかわからない。

 

直感は根拠が無いことが多いし、理論的では無い。

しかし、直感を信じることも大切だなと感じた日でした。

 

 

直感や虫の知らせを信じてみるのも良い時もありますよ。

たまには得たいの知らない物も信じてみましょう。

 


それにしても、記事を書くには申し分無い程、いろんな事が起こる。

でも、流石にいつまでこんな事を続けなくてはならないのだろうか?と思ってしまう。

体調が早く良くならないかな?

 

次のテーマとタイトルは未定・・・次回に続く。

クローン病患者が他人を褒めた結果

前回のあらすじ

自分の同僚のお母様がお亡くなりになり、そこで感じた事を書いた。

 

今回は人を褒めたらどうなったのか振り返ってみたのでその事について書きたい。

 

 

切っ掛けは、自分の後輩にあたる人を褒めた時に起こった。

後輩と言っても、後輩の親御さんは自分のちょっと上と言う感じなので、もし、自分に子供がいたら子供に近い年齢になります。

 

当然、自分から見たら知識・経験とも不足している。

それらは月日が経てば得られるものだと思っています。

 

先日、こんな事があったのです。

その前に、以前から自分はその後輩に工場の状況がどの様になっているのか訊くようにしていたんです。

自分が見てイレギュラーが生じていると感じたらまず、自分で調べて裏を取ってから訊くようにしていました。

その後輩から報告して来た時も自分が知っていても、初見の様に接していました。

叱る事もなるべくしないようにして、なんでも話し掛けて気安いようにイライラも見せないように構えています。

そのお陰か、親子ほど離れた年でも関係性は良好だと自分では思っています。

 

そして、先日、いつもの様に後輩に質問をしたところ9割ぐらいスラスラと返答が出来たのです。

中には自分が見逃していた所の報告もありました。

自「今の所は俺も見逃していたよ」

後「そうでしたか」

自「なんだよ、随分、工場の事分かるようになってきたじゃん」

と言ったら、嬉しそうに満面の笑みで

後「ありがとうございます」

と言ってきました。

自「お前も自分なりに調べたり、やってみたりして努力したもんな」

後「はいっ。自分さんに色々教えて貰って勉強になっています」

と元気に返事をしてきました。

その姿を見ていたら自分も嬉しくなりました。

 

自分にもそんな事あったなと振り返りました。

自分にも師匠と呼べる人がいました。

その師匠は自分が社会人3年目で転職されて来られたのです。

別の部署に配属されていたので最初の頃は接点が無かったし、自分も自分なりに仕事をこなしていると思っていたんです。

それがある日、師匠の部署で人手不足が起こったので自分が1日そちらに借り出されたんです。

業務内容は電気の修理です。

機械の修理には機械的故障と電気的故障があります。

一日、師匠の仕事ぶりを見ていたらなんと効率の良い事か。

それも、かなり的確で無駄が無い。

始めて「これが出来る男」って思いました。

それからは事あるごとに師匠に質問に行きました。

面白く無いのは当時の上司ですよね。

申し訳無いけど、その頃には上司が出来る事は自分にも出来る様になっていたので、教わる事が無くなっていたんです。

師匠の能力が10としたら上司の能力は3なんです。

もちろん、自分の能力が0の時は教えて貰いました。それなりに相談もしていました。

しかし、師匠と出会ったら戻れないんです。

いつの間にか「師匠に認められたい」この一心で仕事をするようになっていました。

そして初めて師匠に褒められた時に物凄く嬉しかったのを思い出しました。

それこそ、フワフワして飛び上がりたくなるくらいに嬉しかったです。

後輩を見ていてそれを思い出しましたね。

そして、自分が自分の上司に抱いた感情を後輩に持たれないように自分も努力し続けなければならないとも感じました。

 

人を褒めるって良いですよね?

誰も損をしない感じがします。

 

こんな事もありました。

入院している時なのですが、その時は絶対安静で移動は車いすと言う状況でした。

お陰でシャワーも浴びれない日々が続きました。

せめて洗髪をしたいと看護師にお願いしたら看護師がしてくれると言うのです。

ありがたいなと思いながらシャンプーとリンスを渡しました。

そして、洗髪中に下のようなやり取りをしたんです。

看「このシャンプーの匂いって良いですよね?」

自「そうなんですよ。初めて使った日から惚れちゃって」

看「そうなんですか?」

自「はい、今はこれが一番ですね」

看「旦那も同じのを使っているんですよ、たしか」

自「そうなんですか?」

看「ええ」

自「旦那さんはセンスが良いですね?」

看「ありがとうございます」

 

自画自賛するようなのですが、この会話って素晴らしくないですか?

①看護師さんがシャンプーを褒める=使っている自分を褒める

②自分がシャンプーを褒める=看護師さんの旦那さんを褒める

③自分が看護師さんの旦那さんのセンスを褒める=旦那さんを選んだ看護師さんを褒める

一見、何気ない会話なのですが、お互いを褒め合っているだけでなく、その場にいない旦那さんの事も褒めているんですよ?

旦那さんを褒める事によって自分で自分を褒めているんですよ?

誰も損をしていないし、誰も傷付いていない。

 

こんな会話だけで世の中成立したら争いなんて無いのですけどね。

これも因果応報の一つでしょうかね?

 

人を褒めるのはプライドが許しませんか?

一度、褒めてみたらどうですか?

張り詰めた気持ちがリラックスする時もありますよ?

 

次のテーマとタイトルは未定・・・次回に続く

 

クローン病患者の同僚の母の悲報を聞いて

前回のあらすじ

他人を認めるとか認めないには一定の条件があり、認めた時には自分も救われると言う事を書いた。

 

今回は自分の会社の同僚のお母様の悲報を聞いたのでその事について書きたい。

 

 

同僚と言ってもだいぶ先輩で定年を迎え再雇用で数年経過している先輩のお母様の話なのでご年配ではあります。

 

以前、年齢を教えて貰った時に4年で100歳になると言う事だった。

なので、長寿と言って良い年齢ではある。

そのお母様の年齢を聞いた全くの他人は「お元気ですね?100歳までは頑張らないと」と言ってくれるらしいのです。

ここで、本音を聞きました。

「確かにいつまでも生きていて貰いたい、だけど、足腰が弱っていて行動が危なっかしいしので何かをするにしても傍についていてあげなくてはならない。それを普段は義姉がしているので申し訳ないんだよ」

と言っていました。

同僚は次男なのです。

だからお兄様に任せれば?と思ったのですが、残念な事にお兄様は10年位前に他界されているのです。

お兄様のお子達は家庭を築き独立されているそうです。

そうなると、お兄様の家でお母様と義姉様の二人暮らし。

この様な理由で上記のような言葉が発生られました。

それはそうだと思います。

一般的には「長男の所に嫁入りしたのだから当然な事」となるかもしれません。

でも、今の時代、結婚と言うのは家では無くて個人だと思うのです。

義姉様はお兄様が他界された時に家を出ると言う選択もあった訳です。

でも、それをしなかったと言うのは素晴らしいなと感じます。

 

「長生きしてね」と声を掛けた赤の他人は本心で言ったのでしょう。

それも優しさです。

 

しかし、周りは長生きしているお母様しか見ていないんですよね?

世話をしている義姉様の事は誰も見ていないんですよ。

自分はお母様と義姉様の関係は知りません。

でも、少なくとも実母と義母では面倒を見たいと言う気持ちに多少でも差が産まれてくると思います。

少なくとも自分はそうなるかと思います。

助けを求められればそれは手助けをします。

でも、自ら苦労をしには行けないと思うんです。

それを義姉様は続けていらっしゃるので凄いなと本当に思います。

 

同僚は何をしていたかと言うと、同僚と言うだけあって平日は仕事をしています。

なので、休日は出来るだけ、お母様を預かって世話をしていたみたいですよ。

でも、やはり年齢を重ねると言うのは外出が億劫になるのでしょうか?

出掛けようと誘っても出たがらなくなったみたいです。

そうするとやる事が無くなって、ただ、一緒にいると言う感じで面白味は無くなるそうです。

 

その気持ちは実際にお亡くなりになった今はどんな気持ちなのでしょうか?

 

人って基本的には頭が悪いのです。

そこにあると明日も来年も5年後もそこにあると錯覚してしまう生き物なのです。

でも、実際にはそんな事は無いですよね?

明日の保証は誰にも出来ないのです。

人は失ってから事の重大さを知るのです。

言葉では知っているのです。

何故なら、先人が教えてくれているはずなのですから。

「いつもまでもあると思うな親と金」

「親孝行したい時に親はなし」

などの言葉を残してくれているんです。

一度は聞いたことがあるのでは無いですか?

 

これって本当にその通りだなと思います。

 

親とべったりしたら?とは言いません。

でも、少し、親に寄り添ってみたらどうですか?

親は子供の世話にはならんと言うかも知れません。

本当に仲が悪くて言っているのかも知れませんが、もしかしたら、子供を心配しての言葉かも知れませんよ。

 

大丈夫と言う人は大丈夫じゃないし、何でも良いと言う人は何でも良いのでは無いのです。

どうしたら良いのか自分でも分かっていない事があるのです。

言葉の上っ面だけでなく、裏も見てみたら、親子なんだから。

 

次のテーマとタイトルは未定・・・次回に続く

クローン病が考える他を認める認めない

前回のあらすじ

自分の仕事仲間が適応障害になったのでその事について書いた

 

今回は認める認めないと言う事で考えさせられた事があったのでその事について書きたい。

 

 

自分の力はどれくらいなのだろうか?

と考えた事はありますか?

力と言っても色々な力があります。

腕力、脚力、体力、精神力、適応力、知力、結束力、財力等々ありますね。

身体的な力、精神的な力に留まらず経済や環境等もあり、本当に挙げたらきりがありません。

 

力が有る無しと言うのは必ず対象がありますよね?

その対象も様々です。

人であったり、物であったり、環境だったり、場合によっては自分自身であったりもします。

 

その結果と言うのはほとんどが「勝った負けた」になります。

 

ほとんどの人の場合は勝つ事に優越を感じ、負ける事に劣等を感じます。

いわゆる優越感、劣等感と言うやつですね。

 

そして負けるのが悔しい人は勝つための努力をします。

努力の結果、一番になる人となれない人がいます。

 

この負けた時に素直な人はその人を認める事となり、歪んだ人は認めないと言う事になるのではないでしょうか?

そして勝った人もその負けた人の努力を知っていたら認める事になるでしょうし、違ったら認めないとなるのでは無いでしょうか?

 

この認めると言うのも一通りでは無いような気がします。

・どんなに努力をしても追いつけない位に力の差が歴然としている場合

・力比べをする前は認めていなかったけど、力比べをしてみたら思いの他、力があると感じた場合

・ずっとお互いの努力を見てきた場合

 

この様にお互いにここまでの経緯を見て来た時に認める事が多いと思います。

 

ある日突然、勝負を挑んできた名前も由来も何も知らない相手を最初から認める人はいないのでは無いでしょうか?

そして、勝負をしてみて力が分かってからの認める認めないになります。

 

そんな事を色々考えていたら、認める条件と言うのがあるのでは無いだろうか?

この認めると言う事は場合によっては自分自身の何かを失う事によって成立るする場合もあるのでは無いでしょうか?

 

自分の結論では認めるには「勇気」が必要なのだと感じました。

ここで相手を認めた場合、常に相手の下にいなければならなくなるのではないか?

今まで築き上げてきた物を否定しなければならないのではないだろうか?

今まで信じてきた物を否定しなければならないのではないだろうか?

皆の信頼を裏切る事になるのではないだろうか?

 

この様に失う事がある為に「認める訳にはいかない」となる人もいるのではないでしょうか?

この失う事によって、今後の自分に影響が大きければ大きい程認める事が出来なくなるのでは無いでしょうか?

 

認められない人は自分が「絶対王者」でなければならないのです。

その為に全ての事を全て自分自身で行わなければ気が済まないし、他人を信用出来ないのです。

そうなると、時に自分自身を追い込む事になります。

 

なんでこんな事を考えたかと言うと、これは自分自身の話でもあるのです。

クローン病になる前の自分の社内での立場ではみんなをまとめる立場にいました。

それが長引く治療のせいで社内での信頼も失い、平社員に成り下がってしまったのです。

今は他の人がみんなをまとめています。

しかし、自分とは経験と知識が違うので自分が見ても、その人は劣っていると感じています。

だからと言って自分が返り咲くまでの体調では無いし、見込みもない。

このもどかしさをずっと頂きながら生活をしていました。

悔しいと思う気持ちがずっとあり、近いうちに必ず返り咲くと言う気持ちでやってきました。

しかし、会社から屈辱的な扱いを受けました。

そうした時に、

「あれ?なんで自分は返り咲きたいの?」

「なんのために会社に貢献するの?」

と冷静に考えられたのです。

その目で、自分の代わりにやっている人を見たら、

「確かに物足りない所はあるけど、一生懸命やっている」

「周りも認めつつある」

そう見えたのです。

そうしたらその人を認める事が出来ました。

 

なので、今はその人のバックアップに専念する事にしました。

もちろん、悔しい気持ちはあります。

 

だけど、ひねくれた感情で人と接しても、その感情って人にバレますよね?

自分の感情一つで雰囲気が変わるのであれば、気持ち良い方が良いでしょ?

 

それに認めると自分の気持ちも楽になったような気がするんですよ。

人を認めると頼みごとも出来るのです。

言ってもやってくれないとわかっている人に本心からお願いしますか?

違うでしょ?やってくれると思うから本心から頼むのでしょ?

それは認めたと言うことですよね?

本心と言うのが大切です。

 

ピンと張った糸は切れやすいですよ。

糸を張り詰めるのは一瞬で良いのです。

その一瞬の為に力の貯蓄をしていれば良いのです。

 

 

次のテーマとタイトルは未定・・・次回に続く

 

クローン病患者が見た適応障害者

前回のあらすじ

リンパ腫のドキュメントを見て結果にショックを受けた事を書いた。

 

今回は以前、会社の仲間が適応障害と診断された経過を書きたい。

 

適応障害とは精神的な病の一つです。

置かれている環境がその人にとっ辛い環境で心身に支障をきたす病気です。

 

自分の見た適応障碍者も同じように「なんで?」と思うような感じでした。

 

その人は20年以上勤めたベテランと言って良い程の人でした。

それが突然、適応障害となったのです。

自分の職場の一つは一人で担当設備を2台程度担当する場合と複数人で複数台担当する場合があります。

その人は複数人で複数台担当する所に従事していました。

それが組織編制があり、一人で2台担当するようになったのです。

そこから様子が変わりました。

最初の内は「なんでも一人でしなければならないから大変だよ」と軽く言っていたので「ベテランなんだからすぐに環境に慣れるだろう」と答えたりしていました。

それがある日突然、「辛い」と言ってきたのです。

「今の体制は会社の方針であるから元の場所に戻すのは難しいし、それに今おかれている環境は特別な事でもない。」と言いました。

本人もそれは分かると言っていました。

そんな会話を毎日していました。

正直、そのような会話に付き合っているこっちも精神的にやられそうでした。

しかし、邪険にも扱えないので話を聞いていました。

 

そんな日々を過ごしていると、目に涙を浮かべる様になってきたのです。

異動したいと言ってきたのです。

その時は何が辛いのか聞くと「一人で考えて、一人で作業をこなし、一人で責任を負わなければならないのが辛い」と言うのです。

「それはお前が今まで楽をしていたと言う事になる」と言いました。

それでも毎日、異動したいと言ってきました。

それじゃと言う事で複数人で複数台担当する所へ担当変更しました。

しかし、そこに行くと「人と作業するのが辛い」と言ってきたのです。

困りました。

一人でもダメ、複数人でもダメとなるとどうしたら良いのでしょうか?

完全に部署を変更するのが良いのでしょうが、自分の会社がそれ程部署があるわけではないのです。

そんな事で1週間くらい経った頃でしょうかその人が電話を代わってくれと電話を差し出して来たのです。

電話を代わるとその人の母親からでした。

「息子がおかしくなったら責任とれるのか?」と言う内容でした。

 

責任を取れるかと聞かれたら取れないので部署を異動する事にしました。

その代わり、完全に一人作業になるが平気か訊いたら平気だと答えるので異動させました。

その部署は単純作業なのでそれ程考えなくても良いはずなんです。

 

それなのに、毎日泣き言を言ってきます。

本人にどんな感じなのか聞きました。

 

・話が理解出来ない

・考える事が出来ない

・ちょっと変化があると対応が出来ない

・声を掛けられるのが辛い

・知らないうちに涙が出る

・常に不安な気持ちになる

 

等などでした。

そんなに煽られる仕事でも無いからゆっくりとやって良いと言っていました。

正直な所、その部署はシルバーをパートで雇って従事させる部署なんです。

なのでこれ以上作業が楽な部署は無いのです。

 

それでも毎日毎日、話をしてきます。

 

そして、とうとう、本人も耐えられなくなったのか診断書を持ってきて1か月休ませて欲しいと言ってきたので、了承しました。

 

その1か月が昨日でした。

そして電話で「治らないので辞める」と言ってきました。

これ以上止める事も出来ないので了承しました。

 

 

精神的な病気は周りからは気付き辛い病気です。

この周りの評価と本人のダメージに乖離が大きくあります。

元気な人は「これぐらい」なのですが、本人は「こんなに」になってしまっています。

 

環境を変えると治る事もあると言いますが、現実問題、完全に部署を変えられるのは大手に限られます。

中小だと難しい。

仕事が変わったとしても目に入る環境はそれ程変わらないのです。

人も接点は無くても目には入ります。

それで環境を変えるとなると会社を辞めるのが一番良いと言う安直な答えにたどり着きます。

 

自分が一番危惧しているのは「ダメ人間」「負け組」と思い込む事です。

そうなると社会復帰自体が厳しくなるのではないだろうか?

 

正直な所、自分も今の会社では悔しい思いをさせられています。

とても屈辱的に感じています。

それでも今は辞めません。

 

自分は今の会社でクローン病になる前の仕事をこなせるようになってから辞めようと考えます。

例え、今、転職しても精神的に負い目を感じると思うんです。

そんな気持ちでは成功なんてするはずがない。

申し訳いないけど、今の会社はリハビリ程度に考える様にしています。

そうしないとこの屈辱にも耐えられないですからね。

 

転職するのが悪いとは言いません。

しかし逃げる様に辞めたら後に続きません。

発展的に建設的に転職するのは賛成です。

 

辞めるのはいつでも出来ます。

その辞表は本当に出して、後悔はありませんか?

 

 

次のテーマとタイトルは未定・・・次回に続く

 

クローン病患者が見たドキュメンタリー番組

前回のあらすじ

ずっと、体調が悪いが悪いながらなんとかしていると言う事を書いた。

 

今回はテレビを見ていてがっかりした事があったのでその事について書きたい。

 

 

放映時間、番組名は忘れてしまいました。

もしかしたら、ニュース番組の1コーナーだったのかも知れません。

 

何気なくテレビを見ていました。

若い声優さんの話でした。(お名前もわかりません)

一生懸命努力して何とか声優の道で生きていけそうだと感じた矢先の事だった。

体調が優れないながらも何とか仕事をこなしていたが、とうとう、ダウンした。

 

病院に行った診察結果はリンパ腫だとの事。

その方は公表してしばらく仕事をお休みする事を選択しました。

もちろん、本人は復活する気で治療にも前向きでした。

闘病記録等も撮ったりしていました。

公表したからでしょうか、テレビの取材も受けておられました。

それはそれは前向きなお答えばかりでした。

 

自分も見習わなければならないと思うほどでした。

ただ、克服するとか、勝つとかばかりを考えていると病気からの逆襲があった時に余計にダメージを喰らいます。

なので、共存とかを考えたら良いのになと思いながら見ていました。

リンパ腫は死に直結するので、共存を考える事は難しいのかも知れませんけどね。

 

ここがクローン病と違う所ですよね。

クローン病クローン病だけではまず、命に別状は無さそうなんです。

怖いのは合併症とかでしょうか?

それよりも腸が無くなる事でしょうか?

なので共存を考えれられるのかも知れません。

リンパ腫場合は諦めたらそこで終わりになりますからね。

 

そして、治療が進んでいき、リンパ腫の除去手術をした後に放射線治療抗がん剤治療と行っていきました。

当然の事、ここまで来ると体力的にかなり厳しい状態になります。

画面越しに見ていても辛く、頑張って欲しいなと願うばかりです。

 

そして、お父さんに電話したみたいです。

「お父さん、死にたくない、生きたい」と。

メッセージを送られたお父さんはどうすることも出来ない。

ただ、「大丈夫だ」としか言ってあげられない。

 

お父さんはこの時、どれだけ無力なのか思い知らされた事だろうと思います。

情けなく感じた事だと思います。

そして、出来る事なら「代わってあげたい」と思ったでしょう。

でも、現実的に出来る事は傍にいてあげる事。せいぜい、身体を摩ってあげる事。

 

冷たい様だけど、これが現実なんですよね。

出来るのは、主治医の治療方法とその効果を信じるしか無いのです。

本人も家族も信じて全力で立ち向かいました。

 

そして、結果、努力も虚しく残念な事になりました。

 

この結果を聞いた時に、ショックでしたね。

「結局、病気には勝てないの?」

これは病人には堪えますね。

正直、見なければ良かったと思いましたね。

 

でも、健常者には良いのかもしれません。

未だに、病気は全て治ると思っている人が多いのですから。

 

そしてもう一つ、思った事があのです。

自分は、クローン病が暴れ出してもなるべく痛いと言わない様にしているし、死にたいも言わない事にしています。

何故なら、言われた方が困るから。

ベストな返答なんてのは無いですよね?

何故なら、病人の自分ならどう答えて貰いたいか?を考えた時に、その日の体調によって求める答えが違うのだから。

 

これはまるで、年頃の女性の気持ちの様ですね。

いわゆる、揺れる乙女心ってやつでしょうか?

今なら分かる様な気がします。

 

病気はなってからだと手遅れです。

ならない様に努力をする事が必要です。

それでも病気になってしまうのですから。

そう言うと、だったら身体に悪い事をしても同じではないかって言う人がいます。

そうじゃないんです。

少しでも、病気になる確率を下げましょうって事なんです。

 

煙草を吸う人と吸わない人。

お酒を飲む人と飲まない人。

甘い物を食べる人と食べない人。

辛い物を食べる人と食べない人。

ジャンクフードを食べる人と食べない人。

塩辛い物を食べる人と食べない人。

 

これを見てどうですか?

全部、しない人が良いですか?

極論から言ったらそうでしょう。

でも、そうじゃないんですよね。

 

過ぎたるは猶及ばざるが如し

 

って事です。

 

身体を悪くするものでも、精神には良い物があります。

全てはバランスなんですよ。

 

尻切れトンボになってしまいましたが、病気になる確率を下げる事をしましょう。

 

 

次のテーマとタイトルは未定・・・次回に続く