クローン病患者の体調不良が続く
前回のあらすじ
渡哲也さんがご逝去されてその事について思うことがあり書いた。
今回は自分の体調の経過について書きたい。
1ヶ月半前に体調を崩した。
治療薬のエンタイビオの投与予定日まで間もないと言うことで耐えて、緊急の診察は受けなかった。
そして、エンタイビオ投与日に採血してCRPを確認したら5.5を越えていた。
通常なら有無を言わさず入院となるが、自分のわがままで入院は回避した。
その代わり、固形物の摂取は禁止でエレンタールのみの栄養補給と言うことになった。
それと途中で臨時の診察を挟んだ。
臨時の診察日まで固形物は避けて、エレンタールもさほど取らなかった。
最初のうちは体重も落ちたが途中から減らずに増えて行った。
不思議な事だ。
どれくらい不思議かと言うと、コップ一杯の水を飲むと体重が400g増えるのだ。
コップ一杯の水と言うことは180ml、多く見ても200ml。
水の比重は1なので200gの体重の増加ならわかるが倍の400g増えている。
それと薬のカロリーも高いのだろうか?
全く変な身体になってしまった。
そんなこんなで臨時の診察日が来て、採血の結果は0.66とだいぶ良くなった。
このまま行けば普通に生活出来るかな?と期待していた。
しかし、お盆休みを迎え、お墓参りにだけと思ったが、父と兄と食事を取った。
食事は主治医に良いだろうと言われていたうどんにした。
一泊で帰ってきたのでスケジュール的には厳しかったのかもしれない。
自分の感覚ではあるがまたCRPの数値が上がっていると思われる。
1.0は越えているのではないだろうか?
2.0は行っていないと思うけど、だるさ、痛み、むくみがかなりきつい。
追い討ちは、この気候の暑さで、ダウンしている。
エアコンもだるさに拍車をかけているのでは無いだろうか?
寝室はエアコンをつけているので涼しいのだが、部屋から出ると気持ち良い。
寒すぎるのか?
汗をかくくらいが気持ち良いのかもしれない。
そんなこんなで大型連休の最終日になってしまった。
仕事には行かなきゃならないと思いながらも自信が無い。
無理は出来ないけど無理しなければならない。
今後、どうしたら良いのだろう?
次のテーマとタイトルは未定・・・次回に続く。
クローン病患者が渡哲也さんの逝去を聞いて
前回のあらすじ
母のお墓参りに初めて行き、不思議な事もあったのでその事について書いた。
今回は渡哲也さんがお亡くなりになったと聞いて感じた事を書きたい。
渡哲也さんは79歳でお亡くなりになられました。
どうも、この頃のお年の方が亡くなられると自分の母が被ってしまう。
自分の渡哲也さんは石原プロの俳優兼社長さんと言うイメージです。
渡哲也さんは大腸がんの手術をして、ストーマだったみたいですね。
そのあとは、肺や気管支の病気にもなられたみたいで人生の後半は闘病生活で大変だった事が想像できます。
その話を聞くとなんとも言えない気分になります。
それでも震災などがあれば、炊き出し等に出向いたりされていました。
病気の人は人の苦労が気になるのでしょうか?
早くに亡くなられた人へのコメントとか聞くと「いつも人の事を気にかけてた」とか人の事を心配していたと言うのが前面に出て来るような感じがします。
自分も病気になってから人の健康が凄く気になります。
病人の苦労がわかってしまうのでしょうね?
渡哲也さんを慕っておられた舘ひろしさんはこのコロナ禍で最期に立ち会えなかったみたいですね。
さらに葬儀も家族葬と言うことで、参列もされなかったみたいです。
舘ひろしさんは男だなと感じました。
故人の気持ちを一番に考えられるなんて素晴らしいですね。
渡哲也さんの最後のCMは石原裕次郎さんとの共演でしたね。
この事も含めて、渡哲也さんは綺麗な亡くなり方をしたと感じます。
プロダクションを閉めることが決まって、憧れた石原裕次郎さんと共演が出来て、申し分無い最後だと思います。
この石原裕次郎さんとの共演ですが、正直な所、最初は死者への冒涜と感じていました。
亡くなった方の気持ちは無視じゃないですか?
果たしてそれは良いことなのだろうか?と思っていたんです。
でも、渡哲也さんはそれで思い残すことなく、ご逝去されたのでは無いでしょうかね?
こんな時、テレビに出られる方は羨ましいと思います。
映像があり、声も聞ける。
一般人だと遺影もなんかピンと来ない。
声も記憶に残っている声を思い出すだけしか出来ない。
渡哲也さん、お疲れ様でした。
次のテーマとタイトルは未定・・・次回に続く。
クローン病患者がお墓に行った
前回のあらすじ
母の好きな場所を訪れたかったが、監視の目が気になり断念した事を書いた。
今回は念願のお墓に行けたのでその事について書きたい。
前回の話しと前後する部分もありますけど流してください。
朝早く家を出発し、母のお墓へと向かった。
例年は物凄く混んでいて、渋滞が当たり前だが、今年は流石に新型コロナウイルス感染症の影響で車がかなり少ない。
平日の方が空いているのではないか?と言うくらい空いている。
国道を走っていたが、80㎞をキープ出来なくなったら高速に乗ることをいつも決めている。
今年はいつまでも行けそうな感じだったが、悲しいかなクローン病。
一般道はトイレの規制がある。
コンビニが一番借りやすいが、今の世の中、貸してくれない所もある。
次に借りやすいのがパチンコ屋だが、客が少なくてトイレだけ借りるのは目立つ。
スーパーやショッピングモールだと車が停めづらく、トイレまでが遠い。
そのようなリスクを考えると高速に乗った方が安心出来る。
と、言うことで高速に乗った。
高速もかなり空いている。
さらに、飛ばす人もそれ程多くなく運転は楽だった。
そして、母の好きな場所を示す看板を横目に通り過ぎる。
高速を降りた所で待ち合わせて、父と兄に再会した。
父は身体は元気そうだったが、気持ち的にはどうなのか?小さく見えた。
父が小さく見えると言うのは寂しいものだ。
そんな事を思いながらお墓に着いた。
うちら以外は誰も居ない。
新しい墓地らしくお墓もまばらだ。
母のお墓に水を掛けて、手を合わせる。
「お母さん、やっと来れたよ。長かったな」
等と話をした。
雨が急に降ってきたので、父と兄との話しもそこそこに、ホテルへと向かった。
夕飯を一緒にする事を約束して一時別れた。
そして、ホテルで不思議な事があった。
それはチェックインの時に起こった。
自「本日予約している自分です」と名字を告げると
ホ「自分の母さんですね?」
と、亡くなった自分の母のフルネームを告げてきたのである。
キョトンとしてしまった。
あまりにも驚きすぎて言葉が出ないと言うことがわかった。
動揺しているのがわかった。
ホテルマンも不振な感じで自分を見ていた。
自分はどちらかと言うと珍しい名字なので、同じ名字にはお会いしたことがない。
今回はそれにさらに輪を掛けて母の名前も付いてきたのだから、狐にでもばかされた感じだ。
その人に会いたいなとは思ったけど、母では無いことは120%のこと。
不思議な事があるものだと、その夜はずっと気になってしまった。
母が仕組んだサプライズなのだろうか?
なかなか粋なことをしてくれるものだ。
その晩はずっと頭から離れなかった。
当然、父と兄にも伝えた。
両方とも驚いていた。
そして、朝をむかえて、お墓にもう一度行った。
父と兄も来てくれた。
母に線香をあげて、お墓をあとにした。
父と兄と話をして、その地をあとにした。
今回はホテルでの出会いに全てを持っていかれた感じがする。
母の「よく来たね」のご褒美だったのだろうか?
嫌な気分にはならなかった。
また、母の名前を聞けて喜ばしいと思った。
小さな事に幸せを感じます。
そんな事で?と思われる事に幸せを感じられるなんて幸せだと思う。
次のテーマとタイトルは未定・・・次回に続く
クローン病患者の母の好きな場所を訪ねたかった
前回のあらすじ
月日と環境は人を変えると言う事を書いた。
今回は母の好きな場所に行きたかったと言う事を書きたい。
直接は話をしていないが、義姉からは新型コロナウイルス感染症が怖いので、他県者は家に来て欲しくない感じのニュアンスを感じ取れたので母の仏壇に手を合わせるのは諦めるからお墓だけ行きたいので場所と名前を教えて欲しいと兄に伝えた。
最初は兄は仏壇にも手を合わせていけば良いと言ってくれたが、流石に兄家族に影響を及ぼしそうなのでそれは断った。
お墓は兄の家から車で30分程度と近い所にある。
お墓から1時間半程度自宅寄りに母の好きだった場所がある。
そこはいわゆるパワースポットなのである。
兄からはどうせなら寄ってみてはどうか?と言われた。
自分としても母が好きな場所なら是非行ってみたいと思った。
最初は自分も行く気が満々だったけど、青森県の新型コロナウイルス関連のニュースを見て行くべきか行かざるべきか迷った。
青森県の新型コロナウイルス関連のニュースと言うのは60歳代の男性がPCR検査を自費で2回も受けて2回とも陰性だったので、青森県に帰郷した。
しかし、ある日、玄関先に「何故帰って来るんだ。さっさと帰れ。」と言うニュアンスのビラが投げ込まれていた。
このニュースを聞いた時に信じられなかった。
これが、首都圏の話だとしたら「やっぱりそうなるんだね」と思ったかも知れない。
しかし、田舎と言うのは近所との関係も近く、お互い様精神が強く、絆も強いと勝手に思っていたのにそれが自分の思っていたのと逆の事件が起こった。
田舎の方は新参者を受け入れない体質の人が多いと言うのは聞いたことがある。
だが、帰郷と言う事はその土地の出身者と言う事だろう。
そんな人が受け入れられないのだ。
なんとも寂しい世の中だろうか。
首都圏の方が他人に関心が無いので、そちらの方が救われるかもしれない。
そんな感じだったので母の好きな場所に行くのは躊躇した。
この段階ではまだ迷っていた。
そして迷いながら先に進むと、当然、自分にも疲れが出てくる。
そうするとパーキングで休憩を取る。
その時に、ある事を目撃し行く事を断念した。
その目撃した事とは、トイレから車に戻ってくると、おじいさんがメモ帳を持ちながら全ての車を見て回っていたのだ。
話し掛けなかったが、明らかに、車のナンバーをチェックしていた。
そんな人の姿を見たら、そのパワースポットでも同じことが行われるだろう事が想像できる。
よって、母の好きな場所に行くのは諦めた。
余談ですが、今回の題名、「訪ねたかった」としているが、最初は「訪ねた」だったが変更した。
悪い事をしている訳では無いのに、本当に、監視の目が厳しく、過ごし難い世の中になってしまいました。
前は1対1の争いで済んだのだろうけど、今の世の中は1対1億2千万の戦いになりかねない。
そこまで犠牲にする程の事ではない。
人それぞれ価値観が違うので対立する事もあるかもしれません。
しかし、それを押し付けるのはいかがな物だろうか?
次のテーマとタイトルは未定・・・次回に続く
クローン病が見た時間と環境は人を変える
前回のあらすじ
飼い犬の不思議な行動について書いた。
月日と環境は人を変えると感じた事があったのでその事について書きたい。
2日程前に今年は母の初盆なのに新型コロナウイルス感染症の猛威のために参列出来ないと書いたが、兄はウェルカムな感じだったが、義姉が拒否しているようなのである。
義姉との出会いは兄の恋人の関係にある頃であった。
義姉は昔は優しく気のきく人だったし、行動力もあるように感じていた。
どちらかと言うと姉御肌的な性格だった。
自分の事も可愛がってくれていたので自分としては家族になるのに賛成していた。
両親も姉からはどうなのか聞いたことが無いので正確的な所はわからないが家族として受け入れていたと思う。
結婚して子供(自分から見て姪)が産まれてしばらくして義姉の生まれ故郷に兄家族は越して行った。
あとから聞いたのだが義姉の故郷へ移住するのが結婚条件だったらしい。
両親は年が行って古くからの慣習で長男に老後は任せると言うことで義姉の故郷にいる。
そこが最後の土地と決めたらしく、墓地を用意した。
どちらかと言うと、自分が家族が生活していた土地に一番近い土地に住んでいる。
家族がこの土地を離れて行った感じである。
と言うことで現在に至ります。
兄と自分は年が離れています。
これが自分にとっても両親にとっても大きい事だと思う。
もし自分がもう少し早く産まれていたら、もう少し早く社会人になれて、もう少し早く家を購入出来たと思う。
自分が家を用意した時に両親を呼んだが、性格的には自分の方が合うが、長男も子供と言うことで離れる事は出来ないと言っていた。
それは仕方無い。
話しは変わって、両親を呼んだとほぼ同時期に義姉と電話で話す機会があり、途中でたまにはこちらにも来てくれと言ったら、行かないと言われた。
ビックリした。
冗談かと思った。
電話を切る時にもう一度誘ったが同じ答え。
変わったなぁと感じた。
そして数年が経ち、兄の所に元妻と行った。
そうしたら義姉は姪の行事があったのか挨拶を軽くしていなくなった。
元妻と兄家族は初対面。
元妻は、受け入れられていないと感じたらしく、かなりショックで寝室から出てこなくなった。
元妻もどうかと思うが、義姉の態度もおかしいと感じた。
昔の優しい気のきく義姉はいなくなっていた。
それからは自分は義姉に対して不信感を懐くようになった。
両親も自分の所に遊びに来ると義姉への不満を漏らすようになった。
この度にこちらにも移ったらどうかと聞くけど、長男も子供と言う理由でこちらには移り住むことは無かった。
義姉の本性は変わっていないのかも知れない。
上手く隠していて自分等が気付かなかっただけかも知れない。
でも、子供が出来、育てているうちに性格が変わったのかも知れない
しかし、昔を知っている自分からすると、時と場所が義姉の性格を変えたとだと感じている。
そして、この度の母の初盆の参列拒否に至るのだと思う。
何がショックかと言うと、もちろん参列出来ない事もそうだけど、義姉にとっては自分は他人なんだと感じ取れた事である。
そして、菌保有者に思われていること。
もしかしたら、単純に怖いだけなのかも知れない。
でも、免疫抑制剤を投与している自分は新型コロナウイルス感染症には感染していない。
免疫抑制剤を投与しているから感染しないのではなくて、重症化していないからである。
免疫抑制剤を投与していると、無症状や軽症ではすまないらしいのである。
家族ってなんなんだろう?って思う。
自分が同じ立場になったらどう思うのだろう?
いや、もしかしたら、数十年前から今回の騒動を予測していての布石なのだろうか?
いつまでも芯となる部分はぶれずにいたいですね。
次のテーマとタイトルは未定・・・次回に続く。
クローン病患者の飼い犬の不思議な行動
前回のあらすじ
お風呂とシャワーが分からなくなったので自分なりの定義を書いた。
今回は飼い犬が不思議な行動を取るのでその事について書きたい。
犬が我が家に来て12年位経つだろうか?12年は過ぎていますね。
我が家に来た時には1歳は超えていると言う獣医の話だったので14歳位だと思います。
人間の年齢に換算すると65歳位になるのでしょうか?
流石に若い頃と違って白髪も増えて来たし、はしゃいでもすぐ疲れるようです。
人間だけでなく、動物も歳には勝てないって事でしょうか?
最近、犬の名前を呼んでもこちらを見向きもしない事が多々あるんです。
前までは関心が無くても呼べば一瞬でもこちらを見たのですがそれすらない時があります。
毎回では無いのです。
犬はこちらを見ないで何をしているのでしょうか?
リビングか二階を見ているのです。
ただ見ているだけでは無くて明らかに何かを待っています。
何がいるのでしょうか?
自分が思うに、亡くなった猫では無いでしょうか?
自分でさえ何か感じる時があります。
まして、もうすぐお盆の時期になります。
そうなると、猫が遊びに来ているのかな?
って感じがします。
猫が犬を守ってくれているのかな?
猫は生前、良く犬に守られていましたからね。
どこかに一人で行こうとすると犬がいつも止めていました。
知らない人が来て、猫が怖がっていると犬が前に立ちふさがり、猫の盾となったりしてました。
だから、今は猫が犬を守ろうとしているのかな?
猫と犬は本当に仲良しでいつも微笑ましく見ていました。
猫が亡くなってからかな?犬に元気が無くなってきたのは。
白髪が増えたのもここに来て急にって感じです。
暑さもあるだろうけど、息苦しそうにしている時もあります。
気にし過ぎだろうか?
でも、犬も何か時が経つのを待っている。そんな気がしてならないのです。
そう言えば、犬にも倦怠期ってあるのでしょうかね?
前は犬と一緒にいる時間って少なかったんですよ。
自分が相手をしてあげるのは散歩の時とご飯の時位なもので、あと、数か月に1度毛をカットしてあげる時に一緒にいるくらいですかね。
それが最近は結構、家にいるじゃないですか?
そうすると、犬の喜び方が小さくなってきた様な気がするんです。
歳を取ってきたから?
いや、違うな。
これはある程度一緒に時を過ごした人達の関係性の様です。
そう、若いカップルの分かれる時期に訪れる、倦怠期ってやつですね。
この倦怠期を乗り越えられた人たちが愛でたい結果を迎える事が出来るのです。
犬と自分は男同士だけど、倦怠期を乗り越える事が出来るだろうか?
次のテーマとタイトルは未定・・・次回に続く
クローン病患者が考えたお風呂とシャワー
前回のあらすじ
このコロナ渦の為に亡くなった母への行事の参列を全て諦めていると言う事を書いた。
今回は7/31に梅雨が明けて急に気温が上昇したのでその対策の一つのシャワーについて書きたい。
自分は就寝前にお風呂に入って湯舟に浸かる。
自分はお風呂が好きでどんなに疲れていて面倒でも湯舟に浸かるようにしている。
今日は短めにと考えても知らないうちに1時間位湯舟に浸かっている事がある。
4時間の間、自動追い炊き機能が付いているのだが、その4時間を過ぎてしまう事もある。
4時間の時はたいてい、疲れ過ぎて知らないうちに寝てしまっている事が多いです。
危険だなと思いながら無意識なので仕方無い。
温度設定は冬場は42℃に設定して、春秋は41℃に設定して、夏場は40℃に設定している。
どうしてこの温度に決めたかは特に理由は無く、入っていて湯舟に熱くて追い出される感じで出る訳でも無く、寒くて出られない訳でも無い温度を探していたらこれがちょうどいい感じ。
そして洗い場ではどうしているかと言うと、これはルーティンがある。
シャンプー→洗顔・耳→シャンプー→コンディショナー→髭剃り→洗体→コンディショナーとボディーソープを流す
この様な感じです。
そして、最近、気温上昇して汗をたくさん掻くようになった。
特に、休日の体調の良い日にはウッドデッキをコツコツと制作しているので、物凄い量の汗を掻いている。
なので作業を終了した時には作業着はビショビショで「洗濯機から出してそのまま来たの?」と言うくらい、作業着が濡れいている。
作業着を脱いでも汗が噴き出てくる。
そうすると「さっぱりしたいな」とシャワーを浴びたくなる。
そしていつも迷う事がある。
このシャワーって何だろう?
シャワーとは何処までを言うのだろうか?
ってね。
作業して埃まみれになったと言うのなら、石鹸を使ってしっかりと洗うだろう。
しかし、ウッドデッキを制作中は汚れと言うのは出て来ていない。
ただ単に、汗を掻いただけ。
その場合は石鹸を使うべきなのだろうか?
汗を細菌が好むと言う考えもあるだろう。
しかし、シャワーの水圧で汗は流れ落ちていると思われる。
その様に考えると「シャワーを浴びてくる」と言う言葉にはどのような意味が含まれているのだろうか?
シャワーと言う単語は水道のホースに繋がれたヘッドの小さなたくさんの穴から水又は湯が出てくる装置の事だろう。
それを浴びるので、その装置を使う事を指していて、石鹸の事には触れていない。
と言う事は、シャワーを浴びると言うのは石鹸の使用有無は拘らないと言う事に結論付けた。
ちなみに、自分はシャワーを浴びると言う行為には石鹸を使うと言う事を含んでいる。
何故なら、ルーティンだから。
今回はくだらない事を書いたと思っています。
だけど、今の時期の気温は体温近くまで上昇し、危険です。
電気代が気になる、そもそもエアコンが嫌い等でエアコンを使っていない人がいると思いますが、そこまでエアコンが嫌ならシャワーに変えてみてはいかがでしょうか?
シャワー後の扇風機は揮発の時に体温を持って行ってくれますよ。
シャワーも嫌だったら、霧吹きで自分の全身をシュッシュってしてみたらどうでしょうか?
嫌だ嫌だと何もしないと、熱中症で倒れてしまいますよ。
あなた自身が「倒れても良いんだ」と言っても、倒れたあなたを処置する周りの人が迷惑なんですよ。
「ほっといてくれ」と言う前に「あの人ならほっといても平気だ」と言われるようにしてください。
次のテーマとタイトルは未定・・・次回に続く