クローン病患者の同僚の母の悲報を聞いて
前回のあらすじ
他人を認めるとか認めないには一定の条件があり、認めた時には自分も救われると言う事を書いた。
今回は自分の会社の同僚のお母様の悲報を聞いたのでその事について書きたい。
同僚と言ってもだいぶ先輩で定年を迎え再雇用で数年経過している先輩のお母様の話なのでご年配ではあります。
以前、年齢を教えて貰った時に4年で100歳になると言う事だった。
なので、長寿と言って良い年齢ではある。
そのお母様の年齢を聞いた全くの他人は「お元気ですね?100歳までは頑張らないと」と言ってくれるらしいのです。
ここで、本音を聞きました。
「確かにいつまでも生きていて貰いたい、だけど、足腰が弱っていて行動が危なっかしいしので何かをするにしても傍についていてあげなくてはならない。それを普段は義姉がしているので申し訳ないんだよ」
と言っていました。
同僚は次男なのです。
だからお兄様に任せれば?と思ったのですが、残念な事にお兄様は10年位前に他界されているのです。
お兄様のお子達は家庭を築き独立されているそうです。
そうなると、お兄様の家でお母様と義姉様の二人暮らし。
この様な理由で上記のような言葉が発生られました。
それはそうだと思います。
一般的には「長男の所に嫁入りしたのだから当然な事」となるかもしれません。
でも、今の時代、結婚と言うのは家では無くて個人だと思うのです。
義姉様はお兄様が他界された時に家を出ると言う選択もあった訳です。
でも、それをしなかったと言うのは素晴らしいなと感じます。
「長生きしてね」と声を掛けた赤の他人は本心で言ったのでしょう。
それも優しさです。
しかし、周りは長生きしているお母様しか見ていないんですよね?
世話をしている義姉様の事は誰も見ていないんですよ。
自分はお母様と義姉様の関係は知りません。
でも、少なくとも実母と義母では面倒を見たいと言う気持ちに多少でも差が産まれてくると思います。
少なくとも自分はそうなるかと思います。
助けを求められればそれは手助けをします。
でも、自ら苦労をしには行けないと思うんです。
それを義姉様は続けていらっしゃるので凄いなと本当に思います。
同僚は何をしていたかと言うと、同僚と言うだけあって平日は仕事をしています。
なので、休日は出来るだけ、お母様を預かって世話をしていたみたいですよ。
でも、やはり年齢を重ねると言うのは外出が億劫になるのでしょうか?
出掛けようと誘っても出たがらなくなったみたいです。
そうするとやる事が無くなって、ただ、一緒にいると言う感じで面白味は無くなるそうです。
その気持ちは実際にお亡くなりになった今はどんな気持ちなのでしょうか?
人って基本的には頭が悪いのです。
そこにあると明日も来年も5年後もそこにあると錯覚してしまう生き物なのです。
でも、実際にはそんな事は無いですよね?
明日の保証は誰にも出来ないのです。
人は失ってから事の重大さを知るのです。
言葉では知っているのです。
何故なら、先人が教えてくれているはずなのですから。
「いつもまでもあると思うな親と金」
「親孝行したい時に親はなし」
などの言葉を残してくれているんです。
一度は聞いたことがあるのでは無いですか?
これって本当にその通りだなと思います。
親とべったりしたら?とは言いません。
でも、少し、親に寄り添ってみたらどうですか?
親は子供の世話にはならんと言うかも知れません。
本当に仲が悪くて言っているのかも知れませんが、もしかしたら、子供を心配しての言葉かも知れませんよ。
大丈夫と言う人は大丈夫じゃないし、何でも良いと言う人は何でも良いのでは無いのです。
どうしたら良いのか自分でも分かっていない事があるのです。
言葉の上っ面だけでなく、裏も見てみたら、親子なんだから。
次のテーマとタイトルは未定・・・次回に続く