クローン病患者が考えた家族との接し方
前回のあらすじ
自死する人としない人の違いについて自論を書いた。
今回は今後の家族との接し方について考えたのでその事について書きたい。
読者さんから聞いたお話も含めさせてもらっています。
先日、ショッピングモールで見た家族の事をチラッと書いたが、それからの派生です。
ショッピングモールでの休憩所にはソファーがありました。
そのソファーは円柱がありその周りを囲むように半円状の形をしていました。
そして、等間隔で注意喚起をパウチっこした貼り紙置かれており、距離を置いて座るように仕向けていました。
もし、貼り紙が無ければ8人位座れる大きめのソファーです。
自分が見た、一つのソファーにはおじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、子供の4人が使用しておりました。
4人が座れるようになっているので、その一家で満席です。
ちゃんと間隔を空けて座っていました。
その時に思ったのがまず、家族なのに距離を置く事が必要なのだろうか?
家族と言う事は空間を共有しているのが多いのでは無いですか?
家も同じでしょう。
移動手段の車も同じでしょう。(駅からは離れているので車の人が多い)
食事も同じでしょう。
それよりも大きな声でお話をされている方が問題なのでは無いでしょうか?
人が集まる事を避けてください、密集を作らないでください。
っての言うのは、人って言うのは音を出すし、吸収するんですよね。
だから、人がたくさんいると大声で話をしなければならなくなるので密集を避けましょうって話なのでは無いかと思うんです。
大声で話をする為には息を大きく吸って、思いっきり吐く事なんですよ。
だから、飛沫が遠くまで届いてしまうんですよ。
以上のような事を以前、書かせてもらいました。
それを読んだ読者さんからレストランで親御さんと出向いたらL字で座るようにお願いされたと言う事を聞きました。
その話を聞いた時に、親子なのに距離を置かないとならないなと思いました。
そして、自分が別の記事で病院に高齢者が少なくなったとも書きました。
現役世代の自分等は会社に行けば人がいるし、挨拶はするし、仕事関連かも知れませんが会話をします。
でも、高齢者と言うか、現役を引退した人は人との接触が極端に少ないと思います。
これがご夫婦ご健在なら喧嘩かも知れないけど言いたいことを言い合えるので良いと思うんです。
それが配偶者が亡くなったりしたら極端に人との接触が減ります。
家族がいても家族と過ごせるのは1日8時間です。
子供、孫がいても仕事や学校に行ってしまうし、人は必ず寝るから睡眠時間も必要でしょう。
家に誰もいない時間を病院とかに当てていたのです。
そこで寂しさを間際らせているのだと思うんです。
しかし、病院に行くのに抵抗が出来てしまった。
そうすると、これからは疲れていても、虫の居所が悪くても、意識して会話をしなくてはならないのかな?と思う様になりました。
人は寂しいと弱くなる物なのです。
居場所が無いように感じてしまう物なのです。
厄介者に思われていると感じてしまう物なのです。
自分が思う、理想的な死に方は「老衰」だと思うんです。
事故・事件に巻き込まれたり、病気だったり、ましてや自死ってなんてのはもっての外だと思うんです。
「あ~、良い人生だったな」
「やり残したことは無い」
「ありがとう」
その様に思って人生を終えるのが良いのかと思います。
少なくとも父にはそのように思って貰いたい。
最近は家族ですら距離を置かなければならない風習になっています。
友人や恋人なんてもっと気を付けなければならない。
でも、これも気持ちの持ちようなのでは無いでしょうか?
心中する気持ちがあれば、接触しても良いのでは無いでしょうかね?
その代わり、他の人を巻き込まなければ良い訳です。
仕事で対面して相手の熱を感じないと、新しい事をするには躊躇してしまうんですよね。
それと余計なお世話となりますが、恋人同士の付き合い方はどうなるのでしょうかね?
結婚するまでプラトニックになったりするのですかね?
それ程仲良くない関係を打破するにはアクシデントが必要ですよね?
「同じものを取ろうとして手が触れる」
「並んで歩いていて、他人を避ける為に避けたら身体が触れる」
「女の子の危険を回避するために手を差し伸べる」
等など、本当の恋人になる第一歩は触れる事じゃないですか?
それがどこにおいてもソーシャルディスタンスとか言われるとその淡いアクシデントを期待できない。
映画館も遊園地も単純にそのある施設を楽しむ事になるのでしょうね。
危険なのは人では無く、ウイルスなのにね。
次のテーマとタイトルは未定・・・次回に続く