クローン病よ、良い子だから、ね

クローン病になっての心境や環境の変化、治療に関することを書いていきたいと考えてます

クローン病患者が嫌悪感を覚える人

前回のあらすじ

某私立大学の研修医が粗相をしてしまった事について感じた事を書いた。

 

今回はどうしたんだろう?日本と言う事を感じたのでその事について書きたい。

 

新型コロナウイルス感染症が蔓延する前から感じていたことではあるのですが、最近、特に強く感じる事があります。

 

自分が幼い頃は「挨拶をしっかりしなさい」と習ってきた。

何かして貰った時はありがとう。

何か過ちを犯してしまった時はごめんなさい。

 

しかし、これが出来なくなっている人が多くなっているような気がします。

寂しい気がします。

なんでこんな事になってしまったのでしょうか?

 

これは自分の勝手な解釈ではあるのですが、便利な物があるのが当たり前だと思う事が多くなっているのでは無いでしょうか?

 

自分が産まれた時にはライフラインや物は整っていました。

しかし、今よりは供給に不安定だったり、高額で一つしか無かったです。

 

母が電子レンジを使っている時に髪を乾かすドライヤーのスイッチを入れた瞬間ブレーカーが落ちる。
電子レンジを使うとテレビも厳しかったような思い出があります。

 

シャワーを使っている時に台所で食器洗いをされると熱湯になる。

 

固定電話は一つしか無いので姉が彼氏と電話している時には誰も電話をかける事も、受ける事も出来ない。

 

テレビは2台あるが1台は父が野球を見る。
残りの1台を姉と取り合いになるが知識も身体的にも精神的にも劣っている自分はいつも言い負かされ我慢する。

 

夏は暑いがエアコンは無かったので扇風機も子供部屋には無い。
無い理由はお腹を冷やすとか顔に当てて寝ると顔面神経痛になるとか言われていた様な気がする。

 

冬も石油ストーブが居間にあるだけで朝は布団から出るのが辛い。
母の作る朝食のみそ汁や魚を焼く熱で家の中が暖かくなっていた。

 

これらが原因でいつも家の中は怒声が聞こえていた。
しかし、これがコミュニケーションだったりもする。
本気で訴えれば姉が折れてくれた事もあったりした。

 

それに比べて今は物が溢れていると感じる。
全ての物が家族の人数分ある様な気もする。
その為に争いは無くなったけど、話をしなくても生活が出来るようになっている。
逆に物はあるのにその性能に物足りなさを感じるようになっている。
まだ使えるのに新機能が付いているから買い替えるとか、スピードが遅いから早い物に買い替えるとか物そのものにも愛着が無くなっている。

 

そんな事から存在がある事に感謝しなくてはならないのに文句を言う人が多くなっている。
最近はその矛先が物だけではなく、人にも向けられている。
昔から人にも矛先が向けられていたのだろうけど数人が実際に会って陰口を言う程度だったがSNSが普及してから特に全く関係ない人も巻き込んでの陰口になってそれが全国レベルになっている。
思う分には争いにはならないのに表現にしてしまい、それが拡散される。
それが関係ない人も乗っかるのでとんでもない事になる。

 

前置きが凄く長くなりました。

それで今回思った嫌悪感と言うのが新型コロナウイルス関連である。

政府が布マスクを2枚ずつ配布すると発表した。
これをどうして「ありがとう」と言う気持ちにならないのだろう?
無い無いと世間が騒いでいるから配ろうとなった訳ですよね?
まずはあるか無いかが大事で機能は二の次になるのでは無いですかね?
ある人は自分で作るからいらないと言うけど、作れる人は良いです。
しかし、作る道具も無い、材料も無いと言う人もいる訳です。
自分基準での発言はいらないのでは無いですか?
それは自慢ですか?優越感ですか?
「ありがとう」で良いのでは無いですか?

また、脱線です。
自分は中途半端な田舎にいます。
ですので野菜作りが趣味な従業員とかもいるのです。
今は病気の為に声が掛からないのですが、野菜が出来るとおすそ分けをいただけます。
それも数人から頂くので食べきれない程の量になります。
しかし、それを「いらない」とは言わずにありがたく頂きます。
それがコミュニケーションの始まりになったりもするのです。
自分が話したいと思う人はその人も自分と話す切っ掛けを探していたりします。
そうすると何げない会話も出来るようになるのです。

 

もう一つ、給付金の件も感謝の気持ちが大切なのでは無いでしょうか?
中には「自分が納付した税金だ」と言う人もいるかもしれませんが、平常時に「必要だから税金分返してくれ」と言っても返ってきませんよね?
一度収めた税金は自分の判断で使えるお金では無くなっているのですよ。
それを政府が国家レベルの危機と判断し給付金として戻してくれると言うのです。
だから、自分の手から離れたお金が戻ってくるのだから「ありがとう」じゃ無いですかね?
確かに30万円の話の時は条件が厳しく誰が貰えるのだろう?と言う疑問がありました。

それじゃ、条件無しの一律10万円を給付しますとなったら、「遅い」「いらない人もいるのでは?」「手を挙げた人とは何事か」とまた文句が沢山出ています。
昔から「十人十色」や「蓼食う虫も好き好き」や「人は考える葦である」とか言いますように人それぞれ考えがあってみんなが納得する事ってまず少ないです。
あれやったらこう言われる、こうやったらああ言われると思ったら動けなくなりますよ。
判断が鈍ります。判断が鈍れば行動が遅くなります。
ですので、今回も遅くなるのも当然です。
「船頭が多いと船が山を登る」と言う事態になります。

 

自分だけかも知れませんが、感謝の気持ちを素直に伝えて嫌な思いをした事が無いですよ。
逆にもっと感謝の気持ちを伝えたくなるほどの大きさになって戻ってきます。
自分は部下についても「ありがとう」と伝えます。
打算無く素直な気持ちで伝えます。
打算があると部下にも伝わりますからね。
部下に指示をして資料などが上がって来た時に「ありがとう」伝えると、まず、笑顔になりますね。
その仕事が自分に戻ってきても時期が来たりすると「やっときましたよ」と自慢げに言われたりします。
自分の頭の中から完全に抜けていた時などは本当に助かります。
更に「ありがとう」を伝えるといつの間にか資料作りの担当が部下になります。
部下が自発的に仕事をするようになるとそれ以外にも気を回してやってくれるようになるのですよ。
そんな時に「成長したな」と実感します。

 

まず「ありがとう」「ごめんなさい」に裏が無い、心から普通に言える生活がしたいですね。

 

 

次のテーマとタイトルは未定・・・次回に続く