クローン病よ、良い子だから、ね

クローン病になっての心境や環境の変化、治療に関することを書いていきたいと考えてます

クローン病患者のクオリティ・オブ・ライフ

前回のあらすじ

アクトネルの5回目の服用をしたので、またまた、問題あったのでその事を書いた。

 

今回はクオリティ・オブ・ライフについて思うところがあり、書いてみようと思う。

またまた、主観的なのでお手柔らかにお願いします。

 

1.クオリティー・オブ・ライフ(QOL)

 よく言われますよね?

 「QOL向上させよう」とかって。

 これって何なんだろう?

 言葉ではわかりますけど、具体的に言うと何だろう?

 

 自分の中でヒント的な事を思い出したので紹介します。

 家族の話なんですけど、自分の母は人工透析をしています。

 普段は兄の所にいるのですが、年に1、2回自分の所に遊びに来るのです。

 普段、電話で会話していると

「何も出来ない」

「動けない」

「歩けない」

「考えられない」

と、「ないないづくし」の話ばかりなのです。

ところが、自分の所に遊びに来ると積極的なんですよ。

一緒に行動している父も「見違えるようだ」って言うほどです。

 

何が違うのかな?って考えて見たのです。

  1. いる場所が違う
    兄は義姉の実家の近くに住んでいて、自分と両親には縁もゆかりもない場所

  2. 緊張感が違う
    兄は義姉の実家近くと言う事もあり、遠慮しながらの生活を送っているのではないかと想像できる。
    主導権も義姉が握っているような感じがする。

    自分の所は今は一人ってのもあるけど、主導権は昔から自分にあったので、自分が認めるかどうかなので、緊張はしていないと思っている。

  3. 仕事量が違う
    兄の所では過保護に生活しているようで、料理とかもさせてもらえないらしい。
    たとえ、作っても義姉は食べないらしい。
    おまけに洗濯機も触らせてもらえないらしい。
    やる事がないと言うのが実情みたい。

    自分は父には庭と犬猫の世話をさせて、母には掃除と洗濯をさせている。
    洗濯も階段を上ったり下りたりするので、良い運動になっているはず。
    やれない事は無理してやる必要は無いけど、やれる事は自分でやるように話をしている。

    自分はそれに失敗しても怒らない事にしているのでそれも安心するみたい。
    壁の柵を壊されたり、洗濯機のポンプを空回しされて壊されたりしたけど、自分は「そっかぁ」でそれ以上は追及しない。
    反省している所に追い打ちをかけても仕方無いしね。

  4. 行動範囲が違う
    自分の所は母とは縁もゆかりも無い場所ではあるのですが、半日掛けての移動をすれば、友人にも会えるらしい。
    だから、電車を乗り継いで遊びに行っているみたい。

    それと、今は人工透析もバスでの送迎がある病院を選んでいるみたいだけど、最初は病院の知識も無く、市営バスを乗り継いで行っていた。
    兄の所は病院のバスの送迎あり。


色々違うところがありますよね。

大きく何が違うかと言うと簡単に一言で言ってしまえば

兄:過保護にしている

自分:働からずもの食うべからず

 

どっちが良いのでしょうかね?

自分は自分の方が良いと思っています。

 

兄の方が苦労もしなくて生活出来るかも知れない。

だけど、クオリティ・オブ・ライフと言う見方をした時に、「質」は高いですか?
自分の意志では何も出来ない事に楽しさはありますか?

自分で勝ち取る事に価値があるのではないですか?

そうすると「生かされていると生きる」の違いだと思うんです。

 

やっぱり、生かされるより生きたいですよね。

それを10年くらい前になりますかね?

母を見た時に思いました。

 

質を高めるのは良い環境で不自由なくってのはあると思うんです。

でも、本当に大切なのは自分は楽しいって思えるかどうかじゃないですか?

お金持ちが必ずしも幸せとは限らない。

貧乏が必ずしも不幸とも限らない。

いかに自分がその環境に価値を見出せることが出来るか。

結局の所、本人の受け方次第って事なのかな?

身体は病気でも心は健康でいたいですね。いや、いましょう。

 

次のテーマとタイトルは未定・・・次回に続く