クローン病よ、良い子だから、ね

クローン病になっての心境や環境の変化、治療に関することを書いていきたいと考えてます

クローン病患者が私物とそれ以外の扱いを考えた

前回のあらすじ

カラオケに行った時の事を書いた。

 

今回は人の行動の中で不思議思う事の一つを書きたい。

 

この世の中にある物は私物と私物以外の物に分けられます。

人に寄って扱い方が分かれますよね?

 

私物だから大切に扱う人。

私物だから雑に扱う人。

私物以外だから大切に扱う人。

私物以外だから雑に扱う人。

 

何故このようになるのでしょうか?

 

私物だから大切に扱う人は思いれが強くて他人に貸し出すのも抵抗があるのだと思います。

手に入れた方法としては努力して苦労して手に入れたり、大切な人からのプレゼントだったりするのでは無いでしょうか?

人に貸し出して汚されたり壊されたり等、貸し出す前と戻って来た時の姿が違うと怒る、怒らないまでも非常に残念に感じます。

物に気持ちがあったら大変うれしく思う事でしょう。

 

私物だから雑に扱う人はその物に対して思いれが無いので大切に扱えないのです。

対して欲しくなかったけど、手に入れる事が出来た場合になるのでは無いでしょうか?

プレゼントとして貰った場合はそれ程大切とは思えない人からの場合でしょう。

以前は大切に扱っていたのだが、途中で扱いが変わる事もあります。

同じような機能の物を新しく手に入れたので必要と無くなった時にも大切に扱わなくなります。

必要としないので廃棄したり、人に有償又は無償で譲ります。

 

物に気持ちがあったら残念に思う事でしょう。

 

この2つについてはその人の私物なので他人がとやかく言う立場にありません。

どうぞ、自由にご扱いくださいと言う事です。

 

 

私物以外の物だから大切に扱う人は思いれがどうのこうのでは無く、公用の物であれば不特定多数が触るので次に扱う事を考え、他人の物であればその人の気持ちを考えて扱うのでは無いでしょうか?

人に見られているから大切に扱う人もいるのでは無いでしょうか?

雑に扱って汚したり、壊した場合は弁償を求められる可能性があるから大切に扱うのでしょう。

それと次に扱う人がその様態を見て自分を責めたりするのも嫌なのでしょう。

物に気持ちがあればこれも嬉しいと思う事でしょう。

 

私物以外の物だから雑に扱う人は気持ちとしては大切に扱う人と逆で不特定多数が扱うから自分が丁寧に扱っても他人が汚したり、壊したりするかも知れないので大切に扱う気持ちに慣れないのでしょう。

正直な所、自分はこの扱いをする人の気持ちが理解出来ないし、嫌悪感を抱きます。

なんかずるい人に感じるんですよね。

こういう人は自分の家の前だけ掃除してゴミは隣人の前に置くような人だと思ってしまいます。

こういう人は人を見て扱いを変えたりするようにも感じます。

大切に扱う時は持ち主が偉い人の物だから好意を抱いている人の物だから嫌われたくないと思うのもあると思います。

雑に扱う時は持ち主を自分より下に、弱いと見ている事が多いのでは無いでしょうか?

中にはただ単に物を大切に扱えない人もいます。

いずれにしても自己中心的な人が多いような気がします。

物に気持ちがあったら怒りが込み上げて来るのでは無いでしょうか?

 

自分は物を大切に扱うタイプなんですよ。

私物だったらずっと使っていきたいと感じるし、私物以外だと人の自分の物だったらと考えてしまうんです。

もちろん、私物以外の場合は人の目が気になる事もあります。

自分は、自分が使おうとした時に壊れていたりして手直しをしないと使えないとか言うのが時間がもったいなくて凄く嫌なんですよ。

なので、人は同じ体験をさせたくないと言う気持ちもあります。

逆に、私物よりも私物以外の物の方が扱いは丁寧になる事も多々あります。

私物の場合は後で手入れをすれば良いやと思ってしまうんです。

自分は人を見て物を貸したりする事もあります。

自分が持っている物には全て歴史がありますからね。

中には昔お付き合いしていた人から頂いた物もあったりします。

人によっては昔お付き合いしていた人から頂いた物はすぐに廃棄する人もいますが、自分は物には罪は無いと考えてしまうんです。

だから、誰から手に入れたかでは無くて使い勝手が良いか悪いかなんですよね。

 

 

この様に人によって物の扱い方が違います。

場合によっては同じものでも持ち主によって扱いを変える人もいます。

 

でも、全て思いれのある私物と思ったら良いのでは無いでしょうかね?

そうしたら誰も損をしませんし、次、気持ちよく使えます。

 

扱い方を見直しても良いかもよ。

 

次のテーマとタイトルは未定・・・次回に続く

 

 

 

 

 

 

クローン病患者がカラオケに行ってみた

前回のあらすじ

病気になってから家が荒れ放題になっていたが、掃除をした時の気持ちを書いた。

 

今回はカラオケに行ってきたのでその事について書きたい。

 

 

新型コロナウイルスのせいでずっと家にいました。

なので、遊びに行っていなかったのですが、久しぶりにカラオケに誘われたので行って来ました。

 

東京都でまだまだ感染者が出ているので外に行く事事態に抵抗があります。

ましてやカラオケは何か所かでクラスターになっていたので正直な所、怖かったのですが、少人数だったので行ってしまいました。

 

カラオケ屋に着くと、満室と言う事で30分待ちになりました。

待っている間、お店の中でも待てたのですが、車にいると言う事で用意が出来たら電話を貰う事にしました。

 

電話が来て店内に入ると自己申告の体温の質問がありました。

体温が37.0℃以下たっだかどうかの質問なのですが、皆、体温を測っているんですかね?

一応、測ってこなかった人には体温計の貸し出しはあるみたいでした。

 

それと手指除菌液がありました。

手指除菌液についてはどこのお店でも店頭に置いていますね。

なので見慣れた風景となっています。

 

部屋は結構大きな部屋でした。

しかし、ここで疑問が湧きました。

車が明らかに少ないのですけど、満室でした。

かなりの人数が相乗りで来店したのでしょうか?

その場合、グループ内で何組かに分かれたのでしょうか?

まさかそんな事は無いですよね?

人グループは一部屋に納まりたいのでは無いでしょうか?

それによそ様の歌声が聞こえてこないんです。

もしかして密閉性が良くて外に声が漏れないのでしょうか?

そんな事は無いですよね?

 

と言う事はどういう事なのか?

そうです、部屋は空いているんです。

それなのに満室と言う。

それは密を避ける為に、2人が触れ合わなければならないような小部屋は使用しないで、中部屋と大部屋しか解放しなかったのんです。

その様に考えればつじつまが合います。

なるほど、お店の新型コロナウイルス感染症の予防と言う事です。

 

部屋に入るとデカデカ注意書きがありました。

「2m以上の間隔を空けて横並びで座って密を避けてください」

となっていました。

2mの間隔を空けて横並びに座れば飛沫感染は避ける事が出来ますね。

この様に座るように指示するならある程度の広さのある部屋で無ければなりませんね。

 

カラオケは楽しみました。

夜の8時までのフリータイムで入りました。

約5時間、カラオケを楽しむ事が出来ます。

 

気持ち良く歌っていると、突然、部屋の電話が鳴りました。

「あと10分でお時間です」

と言われましたが、まだ時間は1時間半あるはずです。

でも、混んできたから追い出されるのかな?

確かに、受付で「込み合った来たら3時間保障とさせていただきます」と。

それなのか?と思いました。

 

それで会計の為に受付に行くと別のグループも会計をしていました。

周りを見ると、自分とその会計中のグループしかいません。

グループと言っても自分は2人、会計中のグループは3人でした。

 

会計を済まし駐車場に行くと車は数台ありますが、人は乗っていません。

店内の受付近辺にも人はいませんでした。

となると、部屋の換気のために追い出されてのでしょうか?

 

時間まで歌えなかったので、損した気分にはなりましたが、ここまで丁寧に感染予防策を練っていたのですね?

 

思うのですが、感染予防をしている地域で感染者が出たら、もう、諦めるしかないのでは無いでしょうかね?

他にやるべきことがないのですから。

 

早く堂々と外出できる日が来て欲しい物です。

 

 

次のテーマとタイトルは未定・・・次回に続く

クローン病患者の本当はどっち?

前回のあらすじ

極論を言う人は正論なのですが、もう少し柔軟に対応した方が過ごし易いのでは?と思ったのでその事を書いた。

 

今回は本当の自分はどちらなのだろうか?と思う事があったのでその事を書きたい。

 

自分で自分の事ってわかりますか?

今まで気付かなかったけど、ある事をきっかけに気付く事ってありませんか?

 

クローン病になってから4年の月日が流れました。

この4年を振り返ると自分でも変わったなと思う事があるんです。

 

多分、なんですけど、自分は自分で几帳面だと思っていました。

それがクローン病になってからだらしなくなったのと、クローン病になってから人と接する事が極端に減ったのが原因かと思うのですが、だらしなくなりました。

どこがだらしなくなったかと言うと家事が出来なくなりました。

家事って何がありますかね?

自分が考える家事と言うのは料理・掃除・洗濯など、細かい事を言うとまだありますが大きくはこんな感じですかね。

 

料理は食べる人がいないのでほとんどしないです。

 

洗濯は作業着があるので仕方なくしています。

 

掃除は嫌いです。

捨てるのに抵抗があるので、物が溢れています。

掃除をすると手が止まる事が多々あるんです。

まず、これは捨てて良いのか?

次に懐かしいなってのがあります。

そこで時間が掛かるのです。

最終的には物を右から左に移動させただけって時もあります。

これは掃除と言えるのだろうか?と思いながら終了させます。

それでもクローン病になる前は普通にこなしていました。

しかし、クローン病になってからは片付けると言う思考回路が遮断してしまったのかも知れません。

 

とにかく、家が汚れていても気にならなくなってしまったのです。

なのでこの4年で家は荒れ放題です。

 

それが、突然、掃除がしたくなったのです。

まずはテーブルの上を片付けました。

テーブルの上面が見えてきたらとても汚いんです。

水ぶきなんかではビクともしない位。

 

水に濡らすだけで洗浄効果が高くなるタオルって知っていますか?

それの模造品なのか分かりませんが、安く売っていたのです。

 そのタオルを使ってみました。

本当に落ちましたね。

2層のスポンジの硬い方よりも落ちる感じです。

しかも相手を傷付けません。

これは楽だし、落ちるし良いなと思いました。

 

テーブルの次はガスレンジです。

クレンザーを使ってゴシゴシして五徳を綺麗にします。

ガスレンジの板の所は例のタオルを使ってふき取ると油がべっとりタオルに移ってきます。

まるで、CMの様です。

 

かなり疲れた気はするので普段ならここで休憩に入ります。

ところが、この日の自分は違っていました。

冷蔵庫が気になってしまったのです。

サラダドレッシングの賞味期限を見たら2年位前に切れていました。

ご飯のお供をうたっているような瓶詰がたくさん出てきました。

こちらも賞味期限は2年位前に切れています。

その様な物や賞味期限内でも食べる事は無いだろうと思う物は廃棄しました。

これらはお金だったので、申し訳ないと謝罪しながら廃棄しました。

冷蔵庫の中身は半分位になりました。

棚がなんだかべっとりしていました。

一度冷蔵庫の中身を出して、板を取り外します。

例のタオルで磨いて磨いて、まるで買ってきたばかりの様です。

 

いやー、頑張りました。

綺麗にすると気分が良いですね。

 

そして、自分は綺麗好きなのかな?と考えました。

綺麗が嫌いな人はいないのでそこは普通かな?

ただ、極端なのかも知れません。

汚くするならとことん汚くして、綺麗にするならとことん綺麗にする。

中途半端はしないようです。

結婚していた時を思い出しました。

家事には言われたこと以外は一切しませんでした。

何故なら、元妻と方法が違うので口を出したくなるんです。

人は口を出されるとやる気を失せますよね?

それを避ける為に手も口も出さないようにしていたのが身に沁みついてしまったのです。

それを引きづっていたのです。

 

 

「うちの旦那は全く家事をしない」と言う奥様、もしかしたら家事をしないのは何か理由があるのかも知れませんよ?

頭ごなしに怒る前に理由を話す時間を与えても良いかもよ。

 

 

次のテーマとタイトルは未定・・・次回に続く

 

クローン病患者が極論過ぎる人の気持ちを考えた

前回のあらすじ

外に出る人には自粛して欲しいし、家に閉じ籠りの人は外に出て欲しいと言う事を書いた。

 

今回は世の中極論で話をする人が多いと感じたのでその事について書きたい。

 

昔は機械の動きをプログラムで組む時ってオンオフのみだったのです。

オンオフと言うのは電気を流すと切ると言う事です。

なので機械は完全に止まっているか全力で動いているかどちらかしか出来なかったのです。

電気的にはスピードの調整が出来ないので、ギアを挟んだり減速機を挟んだりして機械的にスピードを調整したのです。

 

それが抵抗器を挟んだり、インバーターを入れる事によって、電気的にも徐々にスピードを上げる事が、又は下げる事が出来るようになったのです。

 

この様に機械もスピード調整が出来るのです。

 

でも、最近の人は調整が出来なくなっていませんか?

良いか悪いかのどちらかしかない。

昔は場合によっては悪い事とされた事も良い事だったり、また逆もあったりしました。

 

なので、グレーゾーンという言葉もあります。

その為に法律の抜け道もあったりして、ギリギリを責める人は得をしたり、安全を狙っている人は損をしたりしていました。

 

グレーゾーンがあった為に持ちつ持たれつって事もあったのです。

本当はもしかしたらダメかもしれないけど、過去現在未来の付き合いを考えて良いと判断したりする事もあったのです。

それは平等か不平等か?と聞かれたら不平等です。

でも、それが人付き合いだったりします。

全くの初対面の人とずっと仲良くしていた人のどちらを味方するかと言うと、当然、ずっと仲良くしていた人の方を味方します。

 

それが気に入らないのでしょうか?

凄く攻めてきますよね?

それってゆくゆくは自分で自分の首を絞める事になりませんかね?

付き合いは割り切れる物だけでは無いのですから。

その様な人は人付き合い自体が苦手なんだろうな。

もう少し肩の力を抜いて生きても良いのかと思います。

肩の力を抜くのが嫌なんだろうか?

 

グレーゾーンがあった方が上手く回転するんだと言っても受け入れてくれないのだろう。

でも、そんな人もたまに何も言わなくなることがあるんです。

そんな姿を見るとどこか体調が悪いのかな?大丈夫かな?って心配してしまう事があります。

その時の心境はどうかと言うと、「諦めた」となった時です。

諦めると人はどうでも良くなるんです。

 

質問した時に「どっちでも良いよ」「何でも良いよ」って言う人いますよね?

そんな人はたいてい、その事に興味が無いんですよ。

その人にとって大切な事では無いから決められないんです。

でも、そう言う人に限ってもうすぐゴールって所で物言いが付くんですよね?

「何でも良いって言ったじゃん」と言っても「こうなるとは思わなかったから、それだったら降りる」とか言い出すんですよね?

 

様々な人で同じような答えを出してきます。

こんな人は思考回路が似ているんでしょうね?

「似ているね」って言うと、自覚しているのか、怒り出しますよね?

 

不思議に思う人がたくさんいます。

 

極論を言う人って正論なんですよ。

それは認めます。

正論ってあくまでも理想であって、現実離れしている事も多々あるんです。

そして全てに対して損をしたくないのです。

得をすると言う事はその為に反対に損をする人もいるって事です。

ずっと得する側にいられるのなら構わないですけど、人生、いつ逆転するか分かりません。

 

もう少し柔軟になって、人の言う事を真剣に聞いてみても、表面的な事だけじゃなく、本当に言いたい事を考えても良いのかも知れませんよ。

 

 

次のテーマとタイトルは未定・・・次回に続く

クローン病患者が新型コロナに接する人々を見て思ったこと

前回のあらすじ

うつ病から立ち直った時の事を書いた。

 

今回は東京都23区の時短営業が解除された事について書きたい。

 

新型コロナ騒動はまだまだ落ち着きませんね?

GO TO トラベルも東京も対象になる予定ですけど感染者数はそれなりにいますね。

 

世の中の人を大別して、新型コロナを中心に行動する人、経済を中心に行動する人がいます。

 

新型コロナを中心に行動する人は新型コロナに感染しないように細心の注意を払って自分の行動だけでなく、他人の行動も気になっています。

自分を守りたい気持ちが強すぎるあまりに他人の事はどうなっても良いと考えている人もいるような気がします。

 

経済を中心に行動する人には金銭を貰う方と金銭を払う方がいます。

金銭を貰う方はとにかく収入が無くて生きるために仕方無く、新型コロナが怖いけど我慢して商売している人もいるように見受けられます。

新型コロナで命を落とすか、飢えで命を落とすかと言う究極の選択に迫られているような感じでは無いでしょうか?

新型コロナに感染しない確率の方が高いと思うのでしょう。

飢えを待つのは結果は目に見えていますからね。

 

金銭を払う方はとにかく外に出たいのでしょう。

新型コロナに感染しない確立に掛けているような気がします。

 

新型コロナに感染したくないと思う人、感染しても致し方無いと思う人とに別れているのでどうにもならないでしょう。

決して交わらないのだと思います。

これはどちらが正解かは分からないです。

答えは5年後、10年後に出るのでは無いでしょうかね?

 

それで、時短営業が解除されると記憶が無くなるまで、いや、記憶が無くなっても飲まなきゃならないと使命感にかられる人が出てくるのですよね?

はしゃがなくてはならないと使命感?

やらないと損した気分になるのでしょうか?

規制が緩まると言うのは人類が新型コロナに勝利したと勘違いしてしまうのでしょうか?

制限が無くなったと言うだけで、気を緩めて良いと言う話では無いのですよ。

 

新型コロナに感染したくないと新型コロナを中心に生活している人が正解でしょうか?

これもまた、違うと思います。

40億円位の貯蓄があり、月30万円の出費しても死ぬまで働かなくても良いと言う人は家にずっといても良いと思います。

だけどほとんどがそんな事は出来ないと思います。

誰とも関わらなくても生きていけると思っている人もいるのでしょうけど、人は誰とも関わらないで生きていくのは無理です。

テレワークだからと言う人もいるだろうけど、その技術やアイデアを必要とする人がいるから仕事が成り立ち、その結果、金銭の授受が行われる訳です。

この時点で誰かと関わっているのです。

テレワークをするためのインフラや付帯設備も誰かがやってくれている訳です。

 

何が言いたいのかと言うと、「片寄り過ぎては危険ですよ」と言うことです。

 

マスコミとかも偏った報道なんですよね?

外に出ている人がカメラにおさめやすいから安易に外にいる人を映して、自粛していない人がいるんですよと煽る。

世の中バランスなんだと思うんです。

だから、家に閉じこもっている人には外に出てみましょうと言う誘いの報道があっても良いのでは無いでしょうかね?

 

気が緩まり過ぎている人は気を引き締めて、

気が引き締まり過ぎている人は気を緩めて、

が大切では無いでしょうか?

過ぎたるは猶及ばざるが如しですよ。

 

次のテーマとタイトルは未定・・・次回に続く

 

クローン病患者がうつ病から立ち直ったきっかけ

前回のあらすじ

周りの何気ない話に変に反応してしまったと言う事を書いた。

 

今回は自分がうつ病診断から立ち直った事について書きたい。

 

 

2年位前の話になりますが、うつ病と診断されて精神科に通院した事があります。

精神科医に言われたのは「クローン病患者はうつ病になる人が多い」と言う事でした。

「何でですか?」と聞いたが「因果関係は分からない」と言われました。

 

なぜ、精神科に足を踏み入れたのでしょうか?

その時は精神的にかなりふさぎ込んでしまい、仕事に行くのがとても辛かったのです。

会社のみんなを引っ張って行かなければならない。けど、出来ない。

何故、出来ないか?

トイレに長居する為に定刻までに出勤出来ないんです。

腹痛が辛くて業務中に車で休む時間も多くなってきたのです。

そうすると、「こんな自分に付いて来てくれる人がいないのではないだろうか?」ってなるんです。

そうすると、遅刻して会社に行くのに気まずい気分になり、会社に行くのが怖くなるんです。

誰も責めたりしませんよ。

だけど、勝手に自滅してしまったのです。

 

そんな事を主治医に話しました。

主治医は「何が一番辛いですか?」と聞いてきました。

そして自分は「仕事が辛いのではなく、会社に行くのが辛い。」と答えたら、「一度、専門家に見て貰いましょう」と言う事で精神科を紹介されました。

 

精神科に行くと冒頭の「クローン病患者はうつ病になる人が多い」と言われたのです。

そして、二つの事を言われました。

「良くなりますから」

「会社は辛くてもやめないでください」と。

 

精神科って何するかって何もしないんですよ。

あっ、薬は、眠剤は貰えます。

検査とか治療とかと言う意味で。

 

なので、話したいことが無いと物の3分で診察が終わるんです。

精神的に追い込まれている時って人の話を聞くのも辛いんですよ、なんか偉そうで。

自分が劣っている感じがしてくるんです。

かと言って、慰めて貰いたい訳では無いんです。

慰められれば「自分の事、何も知らないのに何言ってるの?」ってなると思います。

要するに一言で言えば

「誰とも接触したくない」

なんだと思います。

自分はそうだったと思います。

 

眠剤を飲むとおかしくなるんです。

その時、ステロイドも飲んでいたんです。

ステロイドって睡眠障害で一日30分位しか眠れないんです。

そこに眠剤を飲むと、もう、何をしているのか分からなくなるんです。

眠剤で頭は眠いのだけど、ステロイドで身体は起きたい。

頭と身体のバランスが悪くなるんです。

自分の身体が自分の身体に思えなくなるんです。

そうすると、横になっていても身体を動かしたくなるんです。

頭は寝ているのに身体がベッドの上で勝手に跳ねるんです。

まるでポルターガイストに取り付かれたように。

そして、勝手に眠剤は止めました。

 

そうすると「精神科の診察って何なんだろう?」ってなったんです。

そうですよね?

問診もたいしてしない、処方された薬も飲めない。

これは「この先生では治らないな」と思う様になりました。

そうしたら「自分でどうにかしなければ」となるんです。

元々、仕事はどうにかならない事をどうにかする仕事が多かったのでどうにかするのは慣れていたのです。

 

疑問を抱きながら精神科の待合室にいると異常に暗い。

患者さんみんな、目が死んでいる。

中には静かにしていられない人もいる。

自分は病気じゃないと叫んでいる人もいる。

無気力になっている人もいる。

 

そんな患者を冷静に見たんです。見る事が出来たんです。

そうしたら「自分はここにいるべき人間じゃない」と強く思いました。

これがきっかけでしたね。

そして、診察になって、精神科医に「待合室にいる人は自分とは別次元の人間で、自分はここにいてはいけない人間だと気付きましたので、お世話になりましたが、今日で終わりにします」と言って部屋を出ました。

 

多分、自分の症状は軽症だったのだと思います。

だからかも知れませんが、自分で気付けたのが良かったのだと思います。

これが人に言われていたら意固地になってしまっていたかも知れません。

 

もしかしたら精神科医の狙いだったのかも知れません。

でも、自分は自分で治したと思っているんです。

それが自信につながるんですよ。

 

質問されたら答える。

でも、そこをあえて、とぼけてダメだと思わせ、自分で解決するように仕向けるのも大切なのかも知れません。

 

次のテーマとタイトルは未定・・・次回に続く

クローン病患者が嫌みを言ってしまった

前回のあらすじ

病院の待合所で病気の娘さんと看病しているお母さんを見掛けて大変だと思ったけど、それは自分の定規の話で決めてはいけないと感じたのでその事を書いた。

 

今回は悪意は無かったのだけど、結果的に嫌味を言っていた事があったので、その事を書きたい。

 

会社の事務所は女子率が高く皆さんご結婚されているので晩御飯の準備をしなければならないらしいです。

そうなると、夕方になると献立の話になる時があります。

今日は何にしようか?

子供が中高生だから食べる量が多くて質より量だとか、子供たちが独立して家を出て行ったので旦那さんと二人分の食事を用意すれば良いだけだから、量よりも質が大事だとかその様な話が飛び交っています。

 

献立を毎日考えるのは大変だとかそんな話を良く聞きます。

 

その内の一人が旦那さんが夜遅くの帰宅だけど、食事をしないで待っていると言う話をしました。

そうしたら別の一人が「待っているなんて凄いですね、私は待っていられないので先に食事をしてしまいます」と言ったのです。

よくよく話を聞いたら、仲が良いわけでは無さそうで、1人で食べるのが味気無いと言うことらしい。

それを聞いてなんか、自分はカチンと来たんですね。

いつもは話に加わらずに反応しないんですけど・・・、どうしてしまったのでしょうか。

「同じ献立を食べるのですか?」って聞いてしまったんですね。

相手は気付かなかったみたいで「もちろんですよ、別メニューなんて面倒くさい。もし、他のを食べたいと言ったら自分で作ればって言いますよ」って言ってきたんですよ。

「そうですよね」って聞き流せば良かったのですけど、大人げない自分が出てしまいました。

「食事出来ない人は困りますね?食事出来ない人は付き合えないですね?食事を出来ない人はずっと一人で生きなければならないのですかね?」と言った後、続けざまに

「自分の場合は固形物の食事はかなり制限があるし、体調が悪い時は液体で栄養補給しなければならないけど、その場合はどうするの?」と言ってしまいました。

相手はだんまりしてしまいました。

事務所内は険悪な雰囲気になりました。

もうすぐ、皆さんお帰りの時間だと言うのにね。

自分も心が狭いとすぐに反省しました。

「食事に行ける様になったらみんなで行きましょうね」とは言ってみたけど、雰囲気は変わらず。

凄い自分の事が嫌悪感です。

 

普段だったら全然気にしないんですよ。

普通に食事の話をして貰っても構わないんです。

 

「一人での食事は寂しい」が、自分の中で「食事が出来ない人とは付き合えない」に変換されてしまったのですね。

自分はその事は後ろめたかったのです。

食事も一緒に楽しめない自分に付き合うのは辛いだろうな。って。

自分は夜しか栄養を取らないから朝から自分と一緒に過ごしたらお腹が空くだろうけど、言い出せないんだろうな?とかね。

相手も自分に気を遣うかもしれないですけど、自分も気を遣っているんですよ。

 

食事制限のある人は人との食事はどうしているのでしょうか?

たまに会う人とだったら多少無理するのでしょうか?

毎日の事だったらどうするのでしょうか?

 

食事って人との付き合いの基本じゃないですか?

それが出来ないとなると、コミュニケーションはかなり厳しいですね。

食事を普通に出来ていた頃は後輩や部下を食事に連れて行ってガス抜きとかしていたんですけど、それが出来なくなって少し心配なんですよね。

もしかしたら無理強いしていたのかも知れませんが自分の出来る事だったのです。

 

嫌味や憎まれ口を叩くのはその時は気分が良い事があります。

でも、後で嫌悪感に陥ります。

一息ついてから発言しても遅く無いですよ。

仮に一息つく事によって発言出来なければ、それはたいして発言したい事では無かったのかも知れませんよ?

 

次のテーマとタイトルは未定・・・次回に続く