クローン病患者が保険の勧誘を受けたら
前回のあらすじ
新型コロナウイルスの感染に当たり、飛沫感染が主な物だと言われていたが、皆が気を付けてもなお、感染者が出ると言う事は空気感染もあり得るのでは無いか?と言う事を書いた。
今回は保険の勧誘について書きたい。
生命保険は入っていますか?
それっていつ入った物ですか?
もしかして古い契約内容の物では無いですか?
最新の保証が付いている保険に変えた方が安心できますよね?
なんせ、ミスした時などの為の受け皿を指す言葉ではなく、本当の保険なんですから。
自分は社会人になってからずっと保険には入っています。
それで何度か契約内容を見直してもいます。
そして、クローン病と診断されて最初の入院から帰ってすぐに保険屋に電話して保険の請求と見直しを申し入れました。
請求の方はすんなり話は進みました。
が、見直しの方はNGとなりました。
「あ~難病ってこういう事なんだ?」って思った最初の事です。
条件が「健康な人」なのでこちらもNGでした。
「あ~難病患者は普通の人では無いんだ?」と確信しました。
本当に受け入れてくれる保険会社は無いのか?
と調べてみましたがほとんどがNGでしたね。
自分調べでは1社だけOKでしたけど、保険料が高い。ので諦めました。
今入っている保険会社からも支払いの前に「見直しした時は難病じゃなかったんですよね?」と念押しの連絡がありました。
「あ~難病患者は要注意人物に近いんだ?」と痛感しました。
今入っている保険を大切にしなきゃならないなと思いました。
そんなこんなで月日は流れ、保険の事は気に掛けていませんでした。
それが先日、銀行から電話がありました。
カードローンの話かな?と普段は無視をして短い期間に3度掛かって来たら対応するようにしていました。
でも、コロナ渦にあり、もしかして住宅ローンの免除なんかの連絡かも知れないと出たのです。
見事に期待を裏切り、保険の勧誘でした。
出なきゃ良かったな~と思いながら話を聞いていました。
でも「んっ?待てよ?保険に入れるのか?」と言う思いと、ちょっと意地悪な気持ちが芽生えました。
若そうな女性で言い方にちょっとイラつくところもあったのも原因があるのですけどね。
先方が話をしているのを遮り
「あの~、自分、難病患者なんですけど、入れますか?色々な所に問い合わせて断られているので入れるのなら真剣に入りたいと思うんですけど」
って聞きました。
先方「難病とは健康な方では無いと言う事ですか?」
自分「(失礼な言い方だなと思いながら)難病って言うんだから病気もちで健康では無いと思うんですけど」
先方「・・・」
自分「どうなのですか?本当に色々断れているので入りたいんですよ。いつ倒れるか分からないし、年に数度、入院するんで。」
先方「健康な方にご紹介しておりますので」
自分「そうなんですか?誘って貰ったので期待したのに、傷付きました」
先方「・・・すみません・・・」
自分「もう、傷付きたいくないので、保険の勧誘は以降しないでください」
先方「お時間取らせて申し訳ございませんでした」
と電話を切りました。いや、切られたのかな?
この手はしつこい勧誘とかに使えますね?
でも、何だろう?
勝ったのに負けた感じは?
大人げない事をしたと後から反省しています。
その時は気分が良くても、後から虚しさが来ることもありますよ?
この言動はすべきかどうか一度立ち止まって冷静に行動しましょう。
次のテーマとタイトルは未定・・・次回に続く
クローン病患者が新型コロナウイルスの感染に疑問を感じた
前回のあらすじ
適応力について書いた
今回は新型コロナウイルス感染について疑問を感じたのでその事について書きたい。
最近、都内での感染者数が増えているようです。
何故なのでしょうか?
接客を伴う飲食業とか夜の街とか言われていますよね?
接客を伴う飲食業や夜の街と言う言い方が怪しい雰囲気を醸し出している感じもします。
自分はどちらも足を踏み入れないので、間違っているかも知れませんが、まさか、濃厚接触はこの報道の中、していないですよね?
もし、していたら、「自業自得」って話になると思います。
でも、自分等の存続の為にも感染を少しでも回避する行動はしているはずなんです。
それなのに感染者数が増えている。
なんで?
感染予防をしていない?
感染予防が甘い?
不思議です。
それでまた考えてしまいました。
これからはあくまでも自論ですのでご注意ください。
新型コロナウイルスは飛沫感染と聞いているし、ほとんどの人の認識もそうだと思うんです。
でも、この認識が間違っているって事は無いですかね?
ソーシャルディスタンスと言われて2m位離れて行動している人が多いと思います。
お店などでもレジに並ぶ立ち位置に印を付けられているのでこちらも問題無いと思います。
これらは飛沫感染の予防です。
それをしているのに感染者が増えると言うと、飛沫感染だけでなくて空気感染もあるのではないでしょうか?
空気感染となると2mのソーシャルディスタンスは濃厚接触と同じですよね?
そうしたら感染してしまいます。
こうなると人の姿が見えたら危ないって話になってしまいます。
こんな事は現実的では無いですね。
そうしたらどうしましょうか?
サージカルマスクは役に立ちませんのでN95と呼ばれるマスクをしなくてはなりません。
しかし、このマスク、呼吸がしづらいくらいにフィルターが密になっているので、これをして行動をする事は難しいと言われています。
一般人がするのは現実的では無いと思います。
部屋を陽圧にする方法もあります。
いわゆるクリーンルームと言われている部屋です。
が、こちらも設備が必要ですし、部屋もそれなりの物にしなければなりません。
こちらも個人でするのは難しいですよね?
そして、新型コロナウイルスが騒がれた当初、暖かくなれば減るだろうと言う事も言われていました。
これはウイルスは高温が苦手と言う理由からでした。
あと、紫外線も苦手と言われています。
これらも効果があるのかどうか?
まだまだ、解明されていない事が多い、新型コロナウイルス。
どれが本当に効果がある、予防策なのでしょうか?
とりあえず、飛沫感染予防だけでは足りなさそうです。
気を付けて行動しましょう。
ってどうやって気を付けるの?
どれも非現実的で対策と言う対策は無さそうです。
強いて言えばN95のマスクになるのでしょうけど、手に入りますかね?
今回は不安を煽る様な記事になってしまいました。
次のテーマとタイトルは未定・・・次回に続く
クローン病患者が考えた適応力
前回のあらすじ
嫌な行動があり、その人とは中々気持ちを共有するのが難しいと言う事を書いた。
今回は適応力がこれからは物を言うのでは無いかと考えたのでその事について書きたい。
新型コロナウイルス感染症の影響で生活の変化を余儀なくされた人がたくさんいますね。
プラべーとも仕事も変化があった人が多いのでは無いでしょうか?
反対にそれらを受け入れられない人もいたりして。
新型コロナウイルスで大きく変化すると取り上げられていますが、本当の所は昔からあったのでは無いでしょうか?
あちこちで変化の兆しはあったのに、個人レベル又は企業レベルの話で全国的、世界的では無かっただけ。
それが、この感染症がトリガーとなり、規模が拡大されたに過ぎないように感じています。
2020東京オリンピックが当初の予定通り開催されていたとしたら、今頃は時差出勤、テレワークを導入されていたはずなんです。
東京の道路もオリンピック関係者の通行の為に一般人は車での乗り入れは制限されていた訳なんです。
この話が出た時に大多数の人が疑心暗鬼に聞いていたのでは無いですかね?
正直な所、自分も疑っていましたからね。
それが新型コロナウイルスの自粛要請で半ば強制的に自粛したら、思いのほか、結構出来るね?となってきた訳です。
今は経営者に向かって「何で出勤させるんだ」みたいな雰囲気もあるようです。
このテレワークに比較的、上手に移行出来たのは2020東京オリンピック対策をした企業のお陰かも知れませんね。
このテレワークも問題があると思いますよ。
テレワークと言う事はたいていの人が一人、いても家族しか周りにはいない事が想像できます。
そうなるとパソコンのトラブルがあった時は自分で解決しなければならないのです。
会社にいれば、何かしら相談できる人がいる訳で気分的に落ち着けられると思うのです。
最悪、その人に丸投げしてしまえば良い訳です。
それが一人の場合、ゆっくり時間を掛ければ、ネットを見て一つずつ考えられる原因を潰していけば良いのですが、場合によっては10分以内には解決していなければならないと言う事もある訳です。
そうなると焦るばかりで解決には向かっていかないでしょう。
まだ、ネットが使える状態なら調べられるので良いかも知れません。
ネットが使えなかったら?
自分の経験と知識を駆使して対処するしか無い訳です。
こうなると解決出来ない事の方が多くなるのでは無いでしょうか?
そして終わった頃には涙ボロボロで顔がぐちゃぐちゃな状態でweb会議に出席しなければならないかも知れません。
そうするとある程度のパソコンの知識が必要になって来る訳ですね。
これも適応力の一つですね。
もう少し、さかのぼると、自分が社会人になって間もない頃先輩から「俺の若い頃は~」と言われました。
その時でさえ、心の中で「今の時代はそうでは無いし」と思っていたものです。
10年以上前の根性論はもう通用しないですね。
自分の親世代の大先輩から聞いたお話です。
戦後は物が無いのにお金も無いので買う事が出来なかった。
その金銭不足をどのように解決したかと言うと「落ちているくぎを集めて売った」と言うのです。
大変でしたね~とは思いました。
しかし、そっか、今は恵まれているのだから多少の事は我慢しよう。ってなりますか?
伝統を守って、昔ながらのやり方って保存するのは良い事だと思いますよ。
でも、今は良い物だけではダメなんですよね。
すぐ手に入って、安くて、良い物。
どこかの牛丼屋の昔のキャッチみたいですね。
人間って勝手な物で人には「伝統を守れ」って言うんですよね。
でも、やれと言われると「生きていけない」となります。
この様に伝統を守っている人ってテレビで見る限りでは裕福には見えないんですよね。
だけど、若い考えが入って来ると、「こんな使い方も出来るんだ?」って応用したり、売り方を工夫したりしているんです。
これも適応力の一つですよね。
中には今までのやり方をガラッと変えて近代化に進む人もいます。
これももちろん、適応力の一つです。
これからは適応力がある人が生き延びるのかな?
って、ダーウィンの名言の「生き残る種とは、最も強いものでは無い。最も知的なものでもない。それは変化に最も適応したものである」に行き付いてしまいますね。
後輩に指導する時に必ず言う事があります。
「まず、俺のやり方を覚えろ。覚えたら他の人のやり方を見ろ。やり方を見て違いを探せ。そして、俺の良い所、他の人の良い所をお前の物にしろ。そうしたら、お前は最強になる」って言うんです。
この世の中、正解は一つでは無い事が多いんです。
故きを温ねて新しきを知るはとても大切で、失敗を回避する可能性が高くなります。
でも、ずっと同じやり方でもへいきですか?
ちょっと見方を変えるとよりよい方向に進むこともありますよ。
今のその作業は慣習でしていませんか?
次のテーマとタイトルは未定・・・次回に続く
クローン病患者が嫌な行動
前回のあらすじ
クローン病患者が思う50年、100年に一度の話
前回のあらすじ
テレビで聞いた天国の食事と地獄の食事について書いた。
今回は50年に1回、100年に1回って聞く事が増えたのでその事について書きたい。
記念日と言うと1年に1回と言う感じでしょうかね?
プレゼントを贈るの記念日も多いですね。
お年玉から始まり、誕生日、母の日、父の日、こどもの日、誕生日色々ありますね。
季節をお知らせする物も沢山あります。
2年、3年となると仕事の関係だと、国とか県とかへの報告、監査等が多いですね。
個人的なイベントは無い感じがします。
4年に1回だとまず来るのがスポーツの関係ですかね。
そして、最近、よく聞くのが50年に1回、100年に1回と言うワードですね。
良い事だと良いのですけど、残念ながらこの、50年に1回、100年に1回はまず、悪い事ですね。
天災や金融、経済によく引用されています。
しかし、金融関係の50年、100年に1回はどうにかならない物ですかね?
50年前、100年前の人は体験したって事ですよね?
それを勉強しなかったのでしょうか?
って言いたくなりませんか?
自分は社会人になってから良い事って景気の良いのを知らないんですよね。
例え、景気が良くなったとしても、経営者が難に見舞われた時の事を考えて財布の紐がきついんです。
なので、こちらに回ってくることが無いので、知らないんですよ。
でも、不思議な事に、景気が悪いからボーナスがが下がるとか言う事はしっかり伝えてきます。
人は基本的にはケチなんでしょうね?
特に経営者となると最初はそうでも無くても、月日が経つとお金好きになるんでしょうね?
なんてのはどうでも良かったです。
天災の方はどうにもなりませんよね?
地震を考えたら関東、東海は危険で住んでいられませんね。
噴火を考えたら富士山も活火山なので関東、東海は住んでいられませんね。
大雨を考えたら九州等も多いですし、数年前には山陽の方でも滑落がありましたね。
これらから逃げるのは厳しいですね。
残念ながら逃げる場所が無いです。
どうするのが良いのでしょうか?
防災グッズを用意しておくことが良いのでしょうか?
と言うかそれしか出来ないですよね。
関東を襲う大地震が30年以内に来るとか来ないとか言っていますが、30年ですよ?
このまま、大地震が来るまでの30年間、緊張を維持する事って出来ますか?
こうなると何のために頑張っているのか分からなくなります。
どこかで踏ん切り付けるしかないですよね?
この30年以内ってのもいい加減ですよね?
以内って事は明日かもしれないんですよ?
こうなると「明日やろう」ってのは危険です。
今日、出来るなら今日した方が良いって話です。
もし、明日、全員が震災で亡くなるとしたら、後悔って言葉は必要では無くなりますね。
今日まで頑張った事は無意味にもなりますよ。
でも、でも、なんです。
30年後だったら?
30年間、「今日でこの世は終わりだ」って思いながら生活するのは楽しいですか?
人って明日があるから頑張れるんでは無いでしょうか?
明日が無かったら、無気力になりますよ。
20数年前、ノストラダムスの大予言って流行ったのです。
1999年7の月にこの世が終わると言うのです。
これを信じた人はどうなったのでしょうかね?
小学生の時に、「1999年にみんな死ぬんだから、勉強なんて意味無いからしない」と言っている子がいたのですが、その子は今頃、どのような生活をしているのでしょうかね?
亡くなったら全てが終わるので、それまで、頑張れって言うのもなんですが、もし、老衰まで生きていたらどうします?
いつの事か分からないので、生きている間に起こらないかも知れないんです。
どうするかと言ったら、やっぱり、起こらない事を願って生きるしかない。
自分の猫が亡くなって3か月が経ちました。
それで今、亡くなる直前の猫の行動が蘇っているんです。
いま、思い出しても胸が張り裂けそうです。
そして、自分の猫は最後まで生きる事を選んでいた様な気がします。
心臓が止まっても大きな声で呼び掛けると、また、心臓が動き出すんです。
それって生き続ける事を選んでいるんですよね。
たぶん、諦めたのは自分です。
その事は後悔しています。これはずっと後悔するのでしょう。
あと、誘惑はたくさんあります。
人は楽な方へ楽な方へと流れる生き物です。
でも、ここは踏ん張って自分の信念に近い道を歩きましょう。
自分が納得した事は素直に受け入れられる物ですよ。
そして、生きるを諦めるのは人だけかも知れませんよ。
次のテーマとタイトルは未定・・・次回に続く
クローン病患者が聞いた天国の食事、地獄の食事
前回のあらすじ
むくみで物が上手く持てなくてお皿を落としてしまったと言う事を書いた。
今回はテレビで聞いて納得した事があったのでその事について書きたい。
数日前の話ですが何気なくテレビを見ていたらお笑い芸人の千鳥さんと又吉さんと
ほか数人の芸人さんが出ていました。
番組の内容としては他の芸人さんが相談を持ち掛け、それに対して又吉さんが答えると言う感じだったかと思います。
又吉さんが答えている時に「天国の食事と地獄の食事」のお話をしていました。
これは恥ずかしながら、自分も知りませんでした。
どの様な話かと言うと寓話なんです。
仏教の教えだと思います。
人は亡くなると一か所にみんな集められます。
そこには神様なのか仏様なのか閻魔大王がいらっしゃいます。
みんなが集まったところで注意事項の話があります。
・数日間、ここで過ごしてもらう。
・最初は食事は出ない。
・みんながお腹が空いたら食事を出す。
・食事は長い箸(1m位)を使ってして貰う。
・たくさんの量とたくさんのメニューがあるので好きなだけ食べて良い。
と説明の後、天国と地獄の様子を見せます。
そこではみんなで食事をしています。
食事のメニューは同じで、みんなが長い箸を持っています。
地獄の方は長い箸で自分の好きな物を好きなだけ取って食べようとしています。
しかし、箸が長い為に自分の口元にまで持ってこれずに食べる事が出来ません。
そのせいで殺伐とした雰囲気になって、お腹も空いているのでイライラしています。
それに比べて天国の方では自分の箸では自分の口元に運ぶことが出来ないので、対面の人に食べさせてあげています。
お陰でみんな楽しくお腹がいっぱいなので満足しています。
それを見せた後に、どちらが良いのか分かりますね?
それでは食事をしてください。
みんなは食事を始めます。
食事を開始して時間が経過するとお腹がいっぱいな人と空いている人が現れます。
もちろん、お腹いっぱいの人は満足そうにしていますが、お腹が空いている人はイライラしています。
そして、お腹いっぱいになった人は天国へ行き、お腹が空いている人は地獄に行きます。
と、言うような話なんです。
これって面白いですよね?
食事前に解決策をみんなが見て、知っているはずなのに、満足した人とイライラした人がいます。
どうしてなのでしょうか?
みんなが答えを知っているのでそれを真似れば良いだけなのに。
これは個人の心境に寄るのです。
天国に行けた人は「自分が幸せに感じる為には他の人も幸せに感じていなくてはならない」と言う事を習っていたのです。
地獄に行かざるを得なかった人は心が狭かったのです。
・そこにある物全てを独占したいので他人に食べさせるなんてもってのほか。
・自分が対面の人に食べさせてあげても対面の人は自分に食べさせてくれるとは限らない。
主にこの二つの理由らしいです。
どうですか?
自分はこれを聞いた時にこれで今まで疑問に思っていた事の答えの一つだなと感じました。
新型コロナウイルスでの自粛要請もそうですが、それ以外でも立入禁止と言うのにしてしまう人などに対して「なんでルールを守れない人がいるんだ?」って思っていたんです。
法律を含めたルールを守れない人がいるとルールを守っている人に迷惑が掛かるだけでなく、もっと厳しいルールになってゆくゆくは自分自身を苦しめる事になりますよ。って事は何度かこのブログでも書きました。
自分にとってはその様な行為をする人が不思議に見えていたのです。
自粛要請に応じない人はどのような考えなのでしょうか?
・自分だけなら平気だろう。
・あの人がやっているのはずるい、自分もしよう。
・今楽しければ良いし、後の事は後で考えれば良い。
こんな感じではないでしょうか?
そうなんです、他人を思いやれない、自己中心的な考えなんです。
自分を犠牲にするって凄く勇気がいる事なんだと思うんです。
それは自分もそう思います。
でも、「お互いに・・・」って言葉を使う時は必ず、自分が相手を信じるか相手が自分を信じなければ始まりません。
自分も出来るかわかりません。
でも、騙されても一度目は自分から行動を起こせる様な人間になりたいですね。
次のテーマとタイトルは未定・・・次回に続く
クローン病患者が物を落とした
前回のあらすじ
喉頭浮腫なのか呼吸がしづらいと言う事を書いた。
今回はむくみによる弊害を書きたい。
前回の呼吸がしづらいと言う事と関連があるのかも知れませんが、むくみが相変わらずです。
最初はステロイドの副作用によるむくみだと思っていたのですが、ステロイドを休止してかなり時間が経過しているのですが、落ち着きませんね。
ステロイドだけでは無かったのかも知れませんね。
むくみはその日その時間で変わります。
30分後に突然、むくんでいるって事もしょっちゅうあります。
自分のむくみのバロメーターは手首の太さと手指の曲げ具合です。
手首の測り方は測る手と反対の手で手首を掴むのです。
その時、親指と中指がくっつくか離れてしまうかで判断しています。
スッキリしている時は楽に着くのです。
それがむくんでいると届かなくなります。
手の曲げ具合は実際に曲げた時にすんなり曲がるかどうかを見ています。
むくんでいる時は指がパンパンになって、曲がらないのです。
それとこぶしに骨が出て来るかどうかも見ています。
握った時にこぶしの所が平らになっているとむくんでいます。
その手を見ながら色が白いのもあり「ドラえもんだなぁ」って思っています。
それにお腹もむくんでくるのです。
お腹に何が入っているのかな?なんて考えていると、「道具?」と思ってしまう事があって、そうすると「四次元ポケット?」
これは完全にドラえもんだな。って一人で笑ってしまいます。
パンパンマンだ、ドラえもんだって忙しいです。
「顔で笑って、心で泣いて」なんか昔聞いたことのあるフレーズですね。
今までは前置きでした。
それで先日、土曜日なのですが、白米を炊いたんです、2合。
当然、2合も食べられないので、お皿にとって冷蔵庫に入れていたのです。
日曜日に残りご飯をレンジでチンしようとして、手に取ったら、むくんでいたんでしょうね?
思ったよりお皿を掴めていなくて、お皿を引っ張る形になってそのまま、床に落ちました。
落ちた衝撃でお皿は割れてしまい、ご飯はまき散らした感じになりました。
悔しかったですね。
お皿も掴めなくなったんだ。って。
そして、その割ったお皿はもう、20年以上使っているお気に入りだったんです。
情けなくなりました。
割れたお皿とご飯を片付けるのにしゃがみますよね?
その時に、お腹もむくんでいてかがめるのが辛いんです。
仕方無しに、皿の残骸が危ないと思いながらも膝をついて片付けました。
片付け終わった時には食欲も失せてしまい、ふて寝しました。
起きたら気分が落ち着いて普通の生活が出来る様になりました。
こんな事があるといつも思うんですけど、
「いつまでこんな生活を続ければ良いの?」
「戻る事はあるのだろうか?」
母も自分の身体が情けないと言っていました。
他の高齢者も似たような体験されているのでは無いでしょうかね?
そして、また、分析してしまいました。
なぜ、情けないと思うのだろうか?
それはただ、「期待しているのに裏切られた」って事なんでしょうね?
これくらいなら出来るだろうと思う事が出来ないと、情けなくなるのです。
と言う事は「期待しなければ良い」と言う事ですよね。
そう、喜怒哀楽ってありますよね?
あれってなんだと思います?と言うか何でなると思いますか?
自分が期待した事に対する結果の現れでは無いでしょうか?
これは自分に対しても、他人に対しても同じだと思います。
喜・・・期待以上の結果になると喜びますよね?
怒・・・期待以下の結果になると怒りますよね?
哀・・・期待以下の結果になると哀しくなりますよね?
楽・・・期待以上の結果になると楽しくなりますよね?
無表情の人ってのは期待が薄いのでは無いでしょうかね?
感情の起伏が激しい人は期待が大きいのでしょうかね?
程々の期待にして、自分のへダメージを減らすのもありかもよ?
次のテーマとタイトルは未定・・・次回に続く